人口推移にみる日本のアイヌモシリへの人口侵略

古来よりアイヌモシリの大自然の中に暮らし、19世紀初頭にはこの地の総人口の8割を占める住民であったアイヌ民族は、明治時代以来の日本の植民地政策により、総人口のわずか1%にも満たない圧倒的少数派民族へと貶められてしまった。

その上、1807年に2万6256人であったアイヌ民族の人口が1931年には1万5969人へと激減し、実に元の人口の4割が死滅していたのである。これは、日本によってアイヌモシリ改め北海道で進められた「開拓」と「近代化」がこの地に大量入植した和人(日本人)のみに恩恵をもたらし、アイヌ民族にとっては何の恩恵にもなっていなかったことを示している。

こういうのを「人口侵略」と言うのである。



目次
1. アイヌ民族および北海道の人口推移まとめ
2. アイヌ民族博物館提示の人口統計について
3. なぜ日本はアイヌモシリを人口侵略したのか



アイヌ民族および北海道の人口推移まとめ


アイヌ民族および北海道の人口推移
北海道のアイヌ民族人口 北海道の総人口 北海道総人口に占める
アイヌ民族の割合
1807年 2万6256人 *1 3万1353人 *2 83.7%
1822年 2万3563人 *1 - -
1854年 1万7810人 *1 - -
1873年 1万6272人 *1 12万1310人 *2 13.4%
1903年 1万7783人 *1 107万7280人 *2 1.65%
1931年 1万5969人 *1 274万6042人 *2 0.58%
 
1993年 2万3830人 *1 566万9137人 *2 0.42%
出典
*1:アイヌ民族博物館提示の人口統計
*2:北海道提示の人口統計魚拓)。

■この人口推移データからわかること

見ての通り、北海道における和人の人口は明治時代以降、モリモリと急増し続けているのに対し、アイヌ民族の人口は日本が第二次世界大戦に敗戦して民主化されるまでは著しい減少を続けていた。

現在は「北海道」と呼ばれているアイヌモシリは元々アイヌ民族の郷土であり、1807年当時は総人口の8割がアイヌ民族であった。それが明治時代に完全に日本の植民地とされてからは状況が急変する。

数百万人もの和人が「開拓」のためにこの地に大量に押し寄せて入植し、総人口に占めるアイヌ民族の割合が1873年には13.4%、1931年には0.58%へと激減し、この地の元の持ち主であったアイヌ民族はみるみるうちに圧倒的少数派へと貶められ、先祖代々暮らしてきたふるさとを好き勝手に喰い荒らされてしまったのである。

よく日本人が中国人を非難する際に使う「人口侵略」とは、本来はこういうのを指すためにある言葉である。

また、1807年に2万6256人であったアイヌ民族の人口が1931年には1万5969人へと激減し、元の人口の4割が死滅している事実も注目に値する。これは現在の日本人(大和民族)の人口に置き換えて考えてみれば、全人口1億2000万人のうちの実に4800万人が死滅に追いやられたのと同じ計算になる。

日本はそれだけ苛烈な迫害をアイヌ民族に対して繰り返してきたのである。



アイヌ民族博物館提示の人口統計について


かつて、アイヌ民族博物館の公式サイトにアイヌ民族の人口統計のデータが掲載されていたが、現在はなぜか削除されており
キャッシュしか残っていないので、そのキャッシュから該当箇所を当ページに引用して残しておくこととする。

ちなみに同じ内容の英語版のページ魚拓)は2017年8月現在も削除されておらず閲覧が可能。



人口

アイヌ民族はかつて北海道、本州東北地方北部、千島、樺太にかけての広い地域に住んでいて、それぞれ北海道アイヌ、東北アイヌ、千島アイヌ、樺太アイヌと呼ばれていました。しかしその後、日露戦争や二度の世界大戦などを契機として大多数が北海道を中心に暮らすようになり、戦後は日本全国に住むようになっています。

アイヌ民族の人口調査は、1800年代になって和人がアイヌを使役するなどの必要性から始められたもので、1807年から1931年の人口は以下のように記録されています。

1807年 26,256人
1822年 23,563人
1854年 17,810人
1873年 16,272人
1903年 17,783人
1931年 15,969人

いずれも概算ですが、近年に至るにしたがって減少が見られ、特に1822年から1854年にかけては激減しています。この原因としては、和人がもたらした伝染病、強制労働による家庭破壊などがあげられます。

最近の北海道の調査(1993年)では、北海道に住むアイヌの人口は、23,830人とされています。



なぜ日本はアイヌモシリを人口侵略したのか


なぜ日本はアイヌ民族に対してこのような暴挙に及んだのであろうか。そのヒントとなる史料がある。
出典:上村英明『知っていますか?アイヌ民族一問一答 新版』(解放出版社)のP43-44

日本とロシア政府によって頭越しに国境交渉が行われ、また、日本政府がアイヌ民族の権利(居住権)を根拠に広大な領土を確保して、一方的に「国内化」を進めることは、アイヌ民族にとっては理不尽な侵略行為そのものでした。一八六九年に日本政府自らがまとめた「蝦夷地開拓方針」には、日本人に対する当時のアイヌ民族の評価が正直に書かれています。

是迄官吏之土人を使役する、甚(はなは)だ過酷を極め、外人は頗(すこぶ)る愛恤(あいじゅつ)を施し候より、土人往々我邦人を怨離し、彼を尊信する

日本人の役人がアイヌ民族を極めて酷使していた一方、外国人(ロシア人)は愛しみの気持ちをもって接したので、アイヌ民族は一般に日本人に敵対的であるのに対し、外国人には畏敬の念をもっている、と分析しています。さらに、日本政府は、こうした心情を考えれば、外国人に扇動されれば、アイヌ民族が災いの種になるだろうと危惧しました。単純にこの問題への解決を考えれば、ひとつは日本政府がアイヌ民族に対しその意志を尊重し、公正で対等な政策を取り、信頼を築くことでしたが、日本政府の対応はまったく逆に動きました。つまり、ヤマト民族の移民を大量に送り込み、アイヌ民族を同化させて、「大和民族の北海道」をつくるという政策をたてたのです。ここでは「植民地化」は「未開な大地の開拓」という美しい言葉に置き換えられました。
おわかりだろうか。日本のアイヌ民族への扱いが過酷であったからこそ、アイヌ民族は一般に日本人に敵意を持ち、ロシア人に親近感を持ったのにもかかわらず、それによってアイヌ民族がロシアと手を組んで日本に災いをもたらす“だろう”という心配だけで、彼らを一方的に人口侵略と同化政策によって飲み込んだのである。

これは、アイヌ民族から見ればこの上なく身勝手で理不尽な仕打ちとしか言いようがない。



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