漢族がチベットで多数派民族になり得ない理由

ダライ集団は「チベットに漢族が大量に流入してチベット人が少数派に追い込まれている」などと主張しているが、それは嘘である。なぜなら、生まれつき高地適応能力を持ち強靭な肺を持つチベット人ならともかく、それ以外の民族なら並の人間では高地の環境に適応できずに命を落とす危険性があるので、とてもチベットで長期間暮らすことなどできないのである。

少なくとも中国の人口調査ではチベット平和解放から57年が経過した2008年の時点でもチベット人口の9割がチベット族であるし、並の体力をした漢族ではチベットで暮らしていくことなどできないのでチベットでは依然として漢族人口がチベット族人口を上回っていることなどあり得ないと見て間違いない。



目次
1. チベット人の高地適応能力、絶滅人類系統から獲得か 国際研究
2. チベット人以外の民族がチベットに長期滞在していると血を吐くことがある



チベット人の高地適応能力、絶滅人類系統から獲得か 国際研究


2014年07月03日 12:50 発信地:パリ/フランス

【7月3日 AFP】チベット人が高地で暮らすことができるのは、現在は絶滅した謎の人類系統から受け継いだ特殊な遺伝子のおかげだとする研究論文が、2日の英科学誌ネイチャー(Nature)に発表された。

中国、チベット、米国の国際研究チームによると、現在のチベット人の祖先は、血液中の酸素量を調整する重要な遺伝子変異を、デニソワ人(Denisovans)と呼ばれる人類種と交配した際に獲得したという。

ネアンデルタール人と同時代に生きていたデニソワ人の存在が明らかになったのは、わずか4年前のことだ。デニソワ人もネアンデルタール人と同様に、解剖学的現代人の現生人類(ホモサピエンス)によって絶滅に追い込まれた可能性がある。

デニソワ人の存在は、ロシア・シベリア(Siberia)南部のアルタイ山脈(Altai Mountains)にあるデニソワ洞穴(Denisova Cave)で発掘された、約8万年前の指節骨の破片1個と臼歯2個によって判明した。

デニソワ人は、分岐した系統の一つとして姿を消す前に、ホモサピエンスと交配して、現在のヒトDNAプール中に残存している特徴を残したことが、遺伝子配列の解読によって分かった。

研究チームは、チベット人40人と中国漢民族40人のゲノム(全遺伝情報)の比較を行った。

その結果、血液に酸素を行き渡らせるヘモグロビン分子の生成を調整する「EPAS1」と呼ばれる遺伝子の特異な変異が、チベット人の遺伝子コードに埋め込まれているのを研究チームは発見した。

EPAS1は、血液中の酸素濃度が低下した場合に発現し、ヘモグロビンの生成量を増加させる。

高地では、EPAS1の一般的な変異によってヘモグロビンと赤血球が過剰に生成され、血液が濃くドロドロになる。これは高血圧症や、新生児の低体重および死亡の原因になる。

だが新たに見つかった変異は、生成量の増加を過剰にならないように抑制するため、標高4000メートルを超える場所に移住する多くの人々が経験する「低酸素症」の問題を防いでいる。

米カリフォルニア大学バークレー校(University of California, Berkeley)のラスムス・ニールセン(Rasmus Nielsen)教授(統合生物学)は「われわれは、EPAS1のこの変異がデニソワ人に由来するという非常に明白な証拠を手にした」と語る。

「人類は他の人類種から遺伝子を獲得することで進化し、新しい環境に適応するようになったことを、これは非常に明確に、そして直接的に示している」

■チベット人の例外

チベットの人々が持つEPAS1の変異は、デニソワ人のサンプルで見つかった変異とほぼ同じものだった。

だがこの変異の痕跡は、漢民族以外の、デニソワ人の名残を受け継ぐとされる他の民族集団には全く存在しない。デニソワ人由来のゲノムの割合が5%と民族の中で最も高いメラネシア人にも、その痕跡はみられない。

アフリカを出たホモサピエンスのグループは、中国へ向かう途中でアジア中部を通過した際にデニソワ人と交配したとの説を論文は提唱している。

中国に移住したホモサピエンスのグループは、その後2つに分裂した。一つはチベットに移動し、もう一つは低地に残り今日の漢民族となった。

研究によると、種族間で交配を重ねた結果、チベット人の87%がEPAS1の貴重な変異を獲得するに至ったという。それに対し漢民族は、共通の祖先を持っているにもかかわらず、全体の9%しかこの変異を持っていない。(c)AFP/Richard INGHAM



チベット人以外の民族がチベットに長期滞在していると血を吐くことがある


出典:
河口慧海『チベット旅行記』の「第二十二回 月下の坐禅」

それからその坊さんはもと来た道に引き返し私はその荷物を背負ってだんだんテントのある方へ指して進んで行ったです。なかなかテントは見えない。ところでその時は疲労がだんだん烈(はげ)しくなって仕方がなくなって来たです。心臓病を起したのかどうしたのか知らんが息は非常に急(せわ)しくなって来まして少し吐気(はきけ)が催しました。こりゃいけないと思ってそこへ荷物を卸しますと背中の方にも荷物を背負ったためにすりむくれが出来ましてその痛いことと言ったら堪らないです。その痛みよりも今吐(は)き出しそうになって居る奴が非常に苦しくって何か胸に詰って来たようになったからじきに宝丹(ほうたん)を取り出して飲みました。

無人の高原に血を吐く するとドッと一つ血を吐きました。こりゃ大方空気の稀薄の所ばかり長く通ったものですから、こういうことになったのか知らんと思いました。私は元来心臓病はないはずだがなぜこういう風に心臓の加減が悪くなったか知らんと疑いましたが、これもやはり空気の稀薄の加減であろうと察したです。もっともチベット人は空気の稀薄に堪え得られるだけの非常に強壮な肺を持って居るです。私どもの肺はチベット人の肺に比すると大方半分しかなかろうと思います。ですから肺が自然と圧迫されるのか突き出すのか分りませんが、非常に胸膈(きょうかく)が苦しくなって来ましてどうもして見ようがなくなった。で、まあ大病というような形状を現わして来た。こりゃうかうか進んで行くとつまりテントの在る所に達し得ずして死んでしまう。



出典:河口慧海『チベット旅行記』の「第四十七回 公道を進む」

血塊を吐く ところがそこに滞在して居る中に私の身体に病気のような非常な変化が起って来た。ある時外へ散歩に出て居りますと、何か喉の所に塊が滞(とどこお)って居るようであるから何心なく吐いて見ると血の塊を吐き出したです。ドドドッと一遍に吐き出した血は鼻から口から止め度もなく流れ出したです。はてこりゃ肺病になったのじゃあないかしらん、私は元来肺が強いつもりであったがなぜこんな病気を患うのか知らんという考えも起ったですが出血はどうも止らない。しかしそういう時にジーッと静かにして居られますのが前に禅宗のお宗家(しけ)様から

頭を叩かれた功徳 であって実に苦しくなる程余計静かになって来る。そこで呼吸の内外に通ずるのを余程阻害(そがい)して行くような心持をもってじっと草原の中に坐り込んで居ると大分に血の出ようが少なくなった。漸(ようや)くの事で止りましたが、その時に出た血がどれだけあったかその辺は真っ赤になって血が沢山溜って居りました。どうしてこんなに沢山血を吐いたものか知らんと、自分ながらびっくりして顔も青くなって帰って来ますとギャル・プンの長者が、あなたの顔が大変青いがどうしたのかという。その次第を告げますと、そりゃあなた何だ、シナの人などがこの辺に出て来るとどうもこの辺は息気(いき)(空気の稀薄な事を知らぬゆえ)が悪いもんだから血を吐くということを聞いて居る。それには良い薬があるからといって薬をくれたです。

そこで私も経験ある老人に教えられて始めて肺病でない、成程空気の稀薄な土地を長く旅行したためにこういう害に遇(お)うたのかと漸く安心致しました。けれどもまた三日ほど経ってまた血を吐いたです。今度は大分少なかった。



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