「チベット大虐殺」は反中勢力が捏造した嘘

当ページでは「チベット侵略」と並ぶチベットの歴史における最大の嘘である「チベット大虐殺」についての詳細な検証を行った。

当サイト管理人が長年チベットを研究してきてはっきりとわかったこと、それは「チベット大虐殺」が反中勢力によって捏造されたフィクションであるという真実である。中国による近代化の恩恵を享受して半世紀で人口と平均寿命が倍に増えた民族に対する「120万人ジェノサイド」など存在しない、それが管理人が見い出した結論である。

「チベット大虐殺」とはダライ集団と西側諸国の反中勢力が自分たちの悪事への批判をかわすためにでっち上げた作り話でしかないのである。



目次
1. 第1章:チベットで大量虐殺と呼べる出来事があった客観的証拠はない
2. 第2章:中国が120万人のチベット族を大量虐殺することが不可能な理由
3. 第3章:中国と日本と英国の統治政策における人口推移を比較してわかる事実
4. 第4章:反中勢力も中国の人口調査を「追認」
5. 第5章:「チベット民族絶滅政策」の大嘘に対するとどめ
6. おわりに:なぜ「チベット大虐殺」は捏造されたのか?
7. 参考1:人民日報「100万人以上のチベット人が虐殺されたというのは完全なデマ」
8. 参考2:光明日報「人口114万人のチベットで120万人虐殺は不可能」
9. 補足:「チベット120万人大虐殺」の嘘に気づいた西側諸国の人々の例



第1章:チベットで大量虐殺と呼べる出来事があった客観的証拠はない


ダライ・ラマ一味(以下ダライ集団)および西側諸国の反中勢力は「中国はチベットを侵略して以来、チベット人口600万人の5分の1に当たる120万人ものチベット人を大量虐殺し、現在もチベットで民族浄化を継続している」なる言説を世界のあちこちで吹聴して中国のチベット統治を悪魔化している。

この通称「チベット大虐殺」と呼ばれる言説が彼らの唱える「チベット弾圧」の最大の根拠であるが、果たしてこの話は事実なのか。先に結論を言ってしまえばこの「チベット大虐殺」は完全なる捏造である。

なぜなら「チベット大虐殺」の証拠として喧伝されているのは、証拠能力に乏しい自称被害者たちの証言と、本当にチベットかどうかもわからない、あるいは仮にチベットだったとしてもテロリストや暴徒などでなく無抵抗な民間人に対する虐殺現場を撮影したものなのかどうかもわからない出所不明の怪しげなプロパガンダ写真の類いに、ダライ集団が具体的な出典も示さず捏造した出鱈目な数字、およびそれらを基に西側諸国の反中勢力が作成した数々のプロパガンダ資料のみであり、これらは一つ一つ検証していけばいずれも客観的な証拠にならないとわかるからである。

■「チベット大虐殺の証言」は証拠になるのか?

まずは「チベット大虐殺の証拠」として最も多く用いられる証言について。

日本の戦争犯罪を否定する右翼日本人によれば「自称被害者の証言は証拠にならない」だそうで、実際のところこの点に関してだけは彼らの言うことは正しい。なぜなら自称被害者の証言は残念ながら組織的に捏造しようと思えばいくらでも捏造できるものであり、それらは信憑性のある物的証拠や加害者側の証拠などと照合し、内容が一致して初めて証拠能力を持つものなのだから。

ここで念のために釘を刺しておくが、右翼日本人が否定している日本の戦争犯罪には加害者たる日本軍が残した証拠資料も多数あり、被害者たちの証言はそれらと内容が一致しているので、疑いようのない歴史的事実である。よって日本の戦争犯罪は「自称被害者の証言は証拠にならない」で否定することはできない。だが「チベット大虐殺」にはそうした「加害者」側による証拠が存在しないので「自称被害者の証言は証拠にならない」で否定することができる。

ダライ集団はしばしば中国が提示する国内チベット族の「中国のおかげで我々は農奴制から解放されて生活水準が大幅に向上した」という
数々の証言を「中国政府が口裏合わせをしている」と証拠もなく決めつけて頭ごなしに否定するが、それなら「チベット大虐殺」の存在を主張する側が提示する自称亡命チベット人の「中国がチベット人を虐殺した」という証言もダライ集団やCIAや統一教会をはじめとする反中勢力が口裏合わせをして捏造したものだと見做されても文句は言えない。

現にCIA統一教会が中国分裂工作の一環として組織的かつ大々的に「フリーチベット運動」を煽動していることがはっきりしている以上、自称亡命チベット人の証言などもダライ集団はもちろんのことCIAや統一教会などによっても捏造されているものであると考えることは十分に可能である。ちなみに主に日本で熱心に「チベット大虐殺」神話を流布しているペマ・ギャルポも統一教会の工作員である。

例えば、嫌中ネトウヨらによってネット上にばら撒かれている「チベット大虐殺」の証拠とされる証言には以下のようなものがある。ちなみに一つ目はダライ集団が公式に主張している内容である。
元拘留者や囚人たちによって報告されている拷問の手法には、以下の様なものもある。イラクサでむち打つ、皮膚を針でつきさす、指の爪の下に竹串を挿入する、四肢、特に足首の関節をハンマーなどで叩く、曲がった釘のついたバットで叩くなどである。木の棍棒(端から釘の突き出た棍棒などもある)や鉄の棒で殴打し、肉を引き裂くといった報告もされている。
ある者は首を残して生き埋めにされ、泥の圧力で顔から眼球が飛び出し、中国人はその眼球を切り取って眺めた。

民衆の尊敬を受ける僧侶達は、糞を食べたり、小便を飲む様に強制され、人々はその光景を見る様に強要された。

彼らは銃殺されたばかりでなく、死ぬまでむち打たれたり、磔にされたり、生きながら焼かれた。
ここでは特に「執拗なむち打ち」、「竹串での爪剥がし」、「眼球を飛び出させてくり抜く」、「糞尿を喰わせる」という部分を頭に入れておいてほしい。これらの拷問・殺害方法について、当サイトを読んできた方ならどこかで耳にしたことがあるのではないだろうか。

そう、これらの拷問・殺害方法は「河口慧海が記録した旧チベットの実態」にある旧チベットの支配層が行っていた残虐行為と全く同じものである。
(「旧チベットの刑罰と拷問は極めて残虐だった」より)

出典:河口慧海『チベット旅行記』の「第八十四回 晒(さら)し者と拷問(ごうもん)」

(中略)

皮肉の拷問 その拷問の仕方は、まず割竹を指の肉と爪の間に刺し込んで爪を剥(はが)して、そうしてまた肉と皮との間へ割竹を刺すのです。それは十本の指とも順々にやられるので実に血の涙を流して居るけれども、ノルプー・チェリンは、これは自分の仕業(しわざ)[#ルビの「しわざ」は底本では「しわぎ」]であって決してテーモ・リンボチェ即ち自分の主人の命令でやった訳でないと強情(ごうじょう)を張ったそうです。



出典:河口慧海『チベット旅行記』の「第八十五回 刑罰の種類」

一体

チベットの拷問の方法 はごく残酷である。またその処刑もごく野蛮の遣り方である。獄屋というようなものも、なかなかこの世からのものとは思えない程の所で、まずその拷問法の一つ二つをいいますと、先に言った割竹で指の爪を剥すとか、あるいは石で拵えた帽子を頭に載せるという仕方もある。それはまず始めに一貫匁ぐらいの帽子を載せ、それからまたその上に同様の帽子を、だんだん五つ六つと載せていくので、始めは熱い涙が出て居る位ですが、仕舞には眼の球が外へ飛び出る程になってしまうそうです。そういう遣り方もある。それから叩くというたところで柳の太い生棒(なまぼう)で叩くのですから、仕舞にはお臀(しり)が破れて血が迸(ほとばし)って居る。

それでも三百なり五百なり極めただけの数は叩かなければ罷(や)めない。もっとも三百も五百も叩く時分には、半ばでちょっと休んで水を飲ましてからまた叩くそうです。叩かれた者はとても病気せずには居らない。小便は血のような真っ赤なのが出る。私はそういう人に薬を遣った事があります。またそのお臀(しり)の傷などもよく見ましたが実に酷(むご)たらしいものであります。

(中略)

刑罰の一番優しいのが罰金、笞刑(ちけい)、それから

眼球を抉(く)り抜いて 取ってしまう刑、手首を切断する刑。それもじきに切断しない。この両方の手首を紐で括(くく)って、およそ半日程子供が寄って上げたり下げたりして引っ張って居るです。すると仕舞(しまい)には手が痺(しび)れ切って我が物か人の物か分らなくなってしまうそうです。その時に人の見て居る前で切断してしまうのである。

(中略)

最も多いのが眼の球を抉(く)り抜かれた乞食、それから耳剃(みみそり)の刑と鼻剃(はなそり)の刑、これらは姦夫(かんぷ)姦婦(かんぷ)がやられるので、良人(おっと)が見付けて訴えるとその男と女がそういう刑に遇うことがある。
(「旧チベット人は高等ラマ僧の糞尿を薬と称して喰わされていた」より)

出典:河口慧海『チベット旅行記』の「第八十七回 奇怪なる妙薬」

(中略)

その薬の本来を知った者は恐らくチベット人を除く外誰も飲むことが出来ぬだろうと思います。それはチベット法王あるいは第二の法王というような高等なるラマ達の大便は決して棄てない。また小便も決して棄てない。大小便共に天下の大必要物である。その大便は乾かしていろいろな薬の粉を混ぜて、そうして法王あるいは高等ラマの小便でそれを捏(こ)ねて丸薬に拵え、その上へ金箔(きんぱく)[#ルビの「きんぱく」は底本では「きんばく」]を塗るとかまた赤く塗るとかして薬に用いますので、この薬にツァ・チェン・ノルプー(宝玉)という奇態な名を付けます。

それは決して売り出すのではない。なかなかそれを貰うことさえ容易に出来ません。まずよい伝手(つて)がありお金を沢山上げてようやく貰いますので、貰ったところでチベット人は非常な病気になったとかあるいは臨終の場合に其薬(それ)を一つ飲むのです。それで快くなればその有難味が利いたといい、たといそれがために死んだところが、チベット人は満足して「誠にありがたい事だ。ともかく宝玉を飲んで死んだからあの人も定めて極楽に行かれるだろう」といって誉(ほま)れのように思って居ります。実に奇々妙々の風俗で、チベット国民が実に汚穢(おわい)極まるということも、こういう事によっても知り得ることが出来るのでありましょう。
おわかりだろうか。この引用文で赤字で強調した「執拗なむち打ち」、「竹串での爪剥がし」、「眼球を飛び出させてくり抜く」、「糞尿を喰わせる」という残虐行為は旧チベットに特有の文化である。この他にも「チベット大虐殺」の証拠とされる証言には「手足を切断された」などの内容もあるが、それらもここに引用した河口慧海の著作にある旧チベット支配層の残虐行為と酷似している。

よってこれはダライ集団や反中勢力か、あるいは河口慧海のどちらかが情報を捏造したと考えられるが、常識的に考えれば捏造しているのはダライ集団や反中勢力のほうである。河口慧海の『チベット旅行記』は1904年頃の旧チベットを訪問した、チベット問題に無関係な第三者が書いた客観性のある見聞録であり、当時の世界にタイムマシンでも実在していなければそもそも当時は存在してすらいなかった中国共産党および中華人民共和国を擁護するために旧チベットの拷問・殺害の手法を捏造するなどとは到底考えられない。

これらのことからこういった「中国による残虐行為」の証言とされるものはダライ集団が自らの文化を基準に物事を考え、自らの残虐性をそのまま中国に投影して創作したフィクションであるとわかる。ダライ集団は旧チベットを支配していた頃にチベット人民に対してこういうことをしていたから、中国もチベット人民に対して同じことをするだろうと安易に考えたのであろう。

また、ここで一旦、チベットではなく、同じく反中勢力によって「大量虐殺が行われている」と主張されている新疆ウイグル自治区についての話になるが、水谷尚子『中国を追われたウイグル人』(文春新書)という反中本に掲載された「中国による大量虐殺」の証拠とされる証言について、ある日本人ブロガーが以下のような鋭い指摘をしている。
(「書評「中国を追われたウイグル人」090809「1」」より)

(前略)

「ウイグル人亡命者の口述史を纏める作業は、まるで平均台の上を歩かされているような感覚である。彼らの「語り」は、傍証となる資料を探すことがほぼ不可能で、客観的検証が非常に難しい。執筆時は常に、証言者の「語り」が本当に信頼に足るものなのか、自分自身が記している内容が正しいのかどうか、自問し続けている状態だった。だが、たとえ亡命者たちの「語り」の中に「語りたくない部分」があったとしても、それでもなお彼らの語れる部分に耳を傾け、彼らと痛みを分かち、それを活字に残しておきたいと思った」(同書「序にかえて」p.10)。

これではこの本に書かれていることが真実かどうか、読者には全然分からない。

さらに、
「確かに、東トルキスタン問題の取材は難しい。・・しかし、どちらの言い分が正しいかはともかく、自由社会のメディアは、小さき声も丁寧に拾いあげ、記録する努力をすべきだと、筆者は強く思っている」(同書p.91)。

実は現在、日本では圧倒的に一方の側の声だけが流されている。それは中国側の声ではない。ウイグル亡命者の声だけが一方的に流されているのである。この本の中でも殆んど一方的にウイグル人亡命者の声だけが流されている。

つまり水谷氏が言っていることは、一方の側の主張だけを一方的に流す、しかも全然証拠もなく、客観的裏づけがなくても流すことは許される、それが自分の信条だということなのである。

如何なる誹謗・中傷も許されるのだという無茶苦茶な考え方が果たして許されるものだろうか?

しかも、
「中国の近現代史や日中関係を専門とする筆者が、専門外の「新疆の民族問題」に興味を抱くようになったのは(云々)・・」
(同書「おわりに」p.201)

とあるように、新疆ウイグル問題は氏の「専門外」であった。

ところがよく様々な月刊誌などに登場されて櫻井よしこ氏等と対談されているが、まるで見てきたかのようにウイグルで大変なことが起きていると語られている。それを読む読者は、まさか氏が確信犯的週刊誌と同レベルの考えの方だとは思わず、まともな研究者であると信じ、またそうした肩書きも有るから、氏の言われることが真実だと思ってしまうわけだ。このような誤魔化しがこの本には含まれている。だから読者の方はこの本が一種の「とんでも本」であることを知って頂きたい。

今日本の多くの新聞はこの程度の”研究者”を信じて一方的なことをどんどん書かれているが、その根底にあるものとは「傍証となる資料」や「客観的検証」でなく、「ストックホルム症候群」にかかった善意の甘い「証言を完全に信用する傾向のある」”研究者”の一方的思い込みだったのだ。

(後略)
この指摘にあるように自称亡命ウイグル人や自称亡命チベット人らの証言なるものは、反中本の著者ですら「傍証となる資料を探すことがほぼ不可能で、客観的検証が非常に難しい」と認めざるを得ないような根拠薄弱な代物である。

客観的に検証できないのならば、どうやってそれを「真実」と断定したのか?要はこういった証言をばら撒く連中のしていることは、そこらのネトウヨがいい加減な根拠に基づいたデマ情報をネットに撒き散らしては後にデマであることが発覚して無責任に逃亡する行為と同じく、信憑性の裏付けは取れていないが自分が信じたい情報だからとりあえずばら撒いてやろうというだけのことでしかないのである。

よって「チベット大虐殺の証言」は証拠にならない。

■「チベット大虐殺の証拠写真」は証拠になるのか?

次に「証拠写真」とされる写真の類いについて。

反中勢力、特に日本の嫌中ネトウヨらが「チベット大虐殺の証拠写真」などと称してネット上にばら撒いているものは、いずれも普段の彼らの南京大虐殺関連写真に対する捏造認定と同じ基準を適用して考えるならば本物かどうかもわからない出所不明の怪しげなプロパガンダ写真ばかりである。

それらの写真はどれもチベットで撮影されたものかどうかもわからない、あるいは仮にチベットだったとしてもテロリストや暴徒などでなく無抵抗な民間人に対する虐殺現場を撮影したものなのかどうかもわからない、証拠能力に極めて乏しいものである。

中でも特にひどい例は、右翼日本人の重鎮の一人である藤岡信勝らが「中国軍によって射殺される直前のチベット人女学生の写真」と称して広めた写真が実は中国南京にあるSM専門DVD会社「鋭度主張」のSM写真だったという事例である。

その問題の写真はこれである。

だが次に掲載する何枚かの写真を見ればこの写真の正体がわかる。









見てわかるとおり、藤岡らが「中国軍によって射殺される直前のチベット人女学生の写真」と称した写真はただのSM写真である。銃を持った中国軍兵士なる者はどこにも写っていない。それどころか、もしこれが虐殺の現場だと言うのならどうして縛られている女性たちは笑顔でいるのか?つまりはそういうことである。

ちなみにこの藤岡らの写真捏造の件は中国のネットにも広まって笑いのネタになっている(例1例2)。

この他にも反中勢力が「中国がチベット人を弾圧する写真」と称して提示する写真にはいくつもの捏造が発覚している(→「西側メディアによるチベット関連の虚偽報道」)。右翼日本人は南京大虐殺の写真に対していい加減な「検証」を根拠に捏造捏造と連呼するが、本当の「捏造写真」とはこういう反中勢力が提示するプロパガンダ写真のことを言うのである。

この手の写真が本物だと主張したければ、是非とも南京大虐殺写真捏造説に対する反論をしている下記のサイトのように写真を一枚一枚丁寧に検証した上でそれを実証してほしいものである。

東中野修道氏が「検討」したと主張する写真143枚

南京大虐殺否定論者が「南京大虐殺の写真は捏造だ」と騒いだことを受けて反論としてこれらの再検証がなされたことにより、南京大虐殺の写真はかえって信憑性があると実証された写真が何枚もあるが、「チベット大虐殺」の写真についてはそうした綿密な検証がなされているとは到底言えないのが現状である。

第一、そもそもの問題として写真だけでどうやって「120万人もの人々が殺された」ことを証明するのか?仮に「チベット大虐殺の証拠写真」と主張されている写真が本物だったとしても、その写真で証明できるのは写真に写っているせいぜい数名の人間が殺されたことだけであり、120万人分の大量虐殺を写真で証明するには何十万枚もの写真を用意してそれらを全て本物と実証しなければならない。果たして「チベット大虐殺」を言い立てる学者でも何でもない素人にそんな至難の業ができるのだろうか?

中国は別に南京大虐殺の写真を「証拠写真」などとは呼んでおらず、それにもかかわらず右翼日本人が勝手に「南京大虐殺の『証拠写真』を検証する」などと一方的に騒ぎ立てているだけである。南京大虐殺で数十万人が虐殺されたことの根拠は主に当時の埋葬記録など遺体の数が確認できる記録を照合したことによるものであり、写真を根拠としているのではない。

よって「チベット大虐殺の証拠写真」は証拠にならない。

■「犠牲者120万人」は客観的根拠が全くない虚構の数字

では「犠牲者120万人」という数字についてはどうか?

これについて、英国ロンドンに本部を置く反中団体、「自由チベット運動」(Free Tibet Campaign)の元幹部であるパトリック・フレンチは、調査によって「犠牲者120万人」の証拠はないと認めている。以下、ニューヨーク・タイムズの記事「He May Be a God, but He’s No Politician」(彼は神かもしれないが、決して政治家ではない)よりフレンチの発言を抜粋し、英語原文と日本語訳を掲載する。
[English]

For example, the Free Tibet Campaign in London (of which I am a former director) and other groups have long claimed that 1.2 million Tibetans have been killed by the Chinese since they invaded in 1950. However, after scouring the archives in Dharamsala while researching my book on Tibet, I found that there was no evidence to support that figure.

[日本語]

例えば、ロンドンの自由チベット運動(私はその元幹部である)や他のグループらは、「彼ら(中国)による1950年の侵略以来、120万人のチベット人が中国人によって殺された」と長らく主張してきた。しかしながら、私はチベットに関する自著の調査をすると同時にダラムサラ(チベット亡命政権の所在地)で公文書を探し回ったのち、その数字を裏付ける証拠がないことに気づいた。
要は元反中活動家の重鎮がダラムサラ(チベット亡命政権の所在地)で公文書を照会してみても「犠牲者120万人」の証拠たるものが何一つ見つからなかったのである。それでも「犠牲者120万人」の証拠があると言うのならば是非とも見せてほしいものである。

もちろん「ダライ・ラマやチベット亡命政権、ペマ・ギャルポ、日本の右翼論壇などがチベット120万人大虐殺があったと言っているから犠牲者120万人は真実だ」なんてのは何の証明にもならない。それなら右翼日本人が否定している南京大虐殺や従軍慰安婦の証明も「歴史学者があったと言っているから」の一言だけで事足りる。

ここで提示すべきなのは根拠のない単なる中国罵倒ではなく「犠牲者120万人」を裏付ける客観的な一次資料、あるいは120万体分の遺体なり遺骨なりが存在する証拠である。本当にそんなものがあればの話だが。

よって「犠牲者120万人」には何の根拠もない。

■ゲリラ戦やテロの取り締まりや死刑は虐殺ではない

それでも確かにダライ集団やチベット独立派がCIAや統一教会などの支援を受けながら起こしたゲリラ戦やテロの取り締まりや死刑の結果出た死者ならいくらかはいた。ゲリラ戦やテロの取り締まりがあり、それらの犯罪者が死刑に処せられたのは中国側の記録にもあることなので疑いようのない事実である。だが戦闘や死刑で死んだ人間は虐殺の犠牲者であるとは言えない。

もし戦闘で死んだ人間を虐殺の犠牲者に含めてもよいのであれば、中日戦争および太平洋戦争の死者数はアジア全土で数千万人にのぼるので日本は数千万人のアジア人と連合国の人々を大量虐殺したことになる。

また、日本は日韓併合の直前、朝鮮の抗日義兵闘争を鎮圧した際に約2万人の朝鮮人の死者を出しているので、もし戦闘死を虐殺に含めてもよいのであれば日本は朝鮮人を大量虐殺した上で朝鮮を併合したことになり、日韓併合を侵略性のあるものと認めることになってしまうわけだが、まるで他人事のようにチベットのことで中国を非難する右翼日本人にとってはそれでも問題ないのだろうか?

同じく、分離独立主義者のテロリストを死刑にすることを虐殺と呼んでよいのであれば、日本は台湾や朝鮮などで独立派を虐殺しまくっていたことになる。そうなると、もはや日本の罪は南京大虐殺や従軍慰安婦どころの話ではなくなってしまうわけである。

つまりゲリラ戦やテロの取り締まりや死刑を虐殺に含めてよいのであれば、困ることになるのは中国のチベット統治をしたり顔で非難する右翼日本人や、彼らのシンパであるペマ・ギャルポのほうなのである。

ここまで「チベット大虐殺」には客観的な証拠が何もないことを説明したわけであるが、「証拠がない」と連呼するだけなら右翼日本人のようなバカな人間にもできるのでここからは積極的に「チベット大虐殺」がなかった証拠を提示することとしよう。

(第2章に続く)



第2章:中国が120万人のチベット族を大量虐殺することが不可能な理由


■発展著しく人口が増え続けるチベットで「120万人大虐殺」など発生しうるのか?

まず、歴代ダライ・ラマが統治していた旧チベットが極めて悲惨な状況にあったことは
当時の状況を収めたいくつもの写真や映像と、それを裏付ける河口慧海など第三者の記録当時の人口激減の記録、そしてダライ・ラマ自身が作成した公文書などによって証明されている。

次に、中国による平和解放以後のチベットが飛躍的に発展してとても「120万人大虐殺」など発生しうる状況にないことは、中国のおかげで豊かで幸せな暮らしを享受できるようになったというチベット族の人々の証言や実際のチベットを見て中国の統治が素晴らしいものであることを認識した世界の人々の発言だけでなく、それを裏付ける国勢調査によって出た人口平均寿命の倍増をはじめとする数々の正確な数字に、発展著しい現在のチベットを収めた何枚もの写真などがある。

ダライ集団が具体的な出典も示さずに捏造した出鱈目な数字と違って中国が提示する数字には国勢調査という確かな保証が付いているのである。このように中国側の主張が事実であることを裏付ける証拠資料はダライ・ラマ側の資料と違って様々な種類のものがある。

その中でも「120万人大虐殺」の虚構性を証明する大きな反証となるのが中国統治下のチベットおよびチベット族の人口推移データである。まずは当サイトがまとめた以下の表を見てほしい。

チベットおよびチベット族の人口推移
チベットの総人口 チベットの
チベット族人口
中国全土の
チベット族人口
1737年 約800万人 *1 - - 歴代ダライ・ラマ統治時代。
1904年 約500万〜600万人 *2 - - 歴代ダライ・ラマ統治時代。
1935年 372万人 *1 - - 歴代ダライ・ラマ統治時代。
1951年 115万人 *3 *4 - - この時点まで歴代ダライ・ラマがチベットを統治し、凄まじい悪政によって人口が激減し続けた。同年、中国のチベット平和解放によって中国の庇護のもとでダライ・ラマ14世がチベットの自治を開始、人口減少が止まる。
1953年 127万5000人 *3 - 277万5000人 *5 第1回国勢調査。
1959年 119万人 *1 - - *6 この時点まで中国の庇護のもとでダライ・ラマ14世がチベットを自治。しかし、ダライらチベット支配層が中国からの独立を企てて武装反乱を起こし失敗、亡命。チベット支配層らが逃れた分だけ人口が減る。同年、中国のチベット民主改革によって政教一致の封建農奴制が撤廃されて中国による正式な統治が始まり、近代化によってチベット族の人口が急速に増え始める。
1964年 125万1000人 *3 120万9000人 *3 - 第2回国勢調査。
1978年 174万人 *7 162万人 *7 - -
1982年 - - 387万人 *8 第3回国勢調査。
1984年 197万人 *7 188万人 *7 - -
1988年 212万3100人 *9 - - -
1990年 219万6000人 *3 209万6700人 *3 459万3000人 *10 第4回国勢調査。
1993年 229万人 *7 221万人 *7 - -
2000年 261万6300人 *3 241万1100人 *3 542万人 *9 第5回国勢調査。
2001年 254万人 *7 244万人 *7 - -
2003年 270万1700人 *3 - - -
2004年 273万6800人 *3 - - -
2005年 277万人 *9 - *11 - -
2006年 281万人 *9 - - -
2008年 287万人 *7 270万人 *7 - -
2010年 300万2166人 *12 - 628万2200人 *13 第6回国勢調査。
(1737年から1951年までの歴代ダライ・ラマ統治時代には一貫して人口が減少し、
対する1959年以降の中国統治時代には一貫してチベット族人口を含めて人口が増加した)
出典・脚注
*1:『中国地図冊』(中国地図出版社編制、新華書店北京発行所発行、1992年版)
*2:河口慧海『チベット旅行記』の「第百十八回 チベットの兵制」
*3:『チベットの人口』(中国のチベット 事実と数字2005)
*4:この時点の1951年までに実施されていた人口調査は旧態依然とした簡易なものであり大まかな人口しか把握できておらず、次点の1953年の人口と比べると1年に約6万2500人ずつ増えるという異常な人口増加ペースになっていることがわかるので、実際には1951年の人口は115万人よりも数万人多かったものと推定される。2年後の1953年には第1回国勢調査が実施され、そこからようやく正確性の高い人口統計が得られるようになった。
*5:易富賢『大国空巣:反思中国計画生育政策』(中国発展出版社)
*6:ダライ・ラマ14世のチベット亡命政権は1959年時点の中国全土のチベット族人口を600万人と主張し、その根拠として「中国政府が当時そう発表していた」とうそぶいているがそのような事実は一切ないし、また人口600万人の典拠となる具体的なソース名も一切挙げていない。また、彼らは「1959年」の人口が600万人だと言ったり「1959年以前」の人口が600万人だと言ったり「現在」の人口が600万人だと言ったりまるで一貫性がないし、まさか発展著しい地域で50年以上もの間ぴったり600万人のまま人口が停滞していることなどあり得ないのでこの600万人という数字は全く信憑性のない出鱈目な数字と見て間違いない。
*7:『チベット総人口とチベット族人口の変化』(チャイナネット 2009年4月7日)
*8:中国語オンライン辞書
*9:横浜国立大学教育人間科学部教授・村田忠禧『チベット問題を考えるための資料』
*10:中央人民広播電台
*11:『チベット問題を考えるための資料』には2005年のチベットのチベット族人口は241万1100人と書かれているが、この数字は第5回国勢調査で判明した2000年のチベットのチベット族人口と完全に一致する不自然な数字である。よって2000年のデータが2005年のデータと誤認されて掲載されたものと判断して一覧から除外する。
*12:『チベット、常住人口が300万を上回る』(中国国際放送局 2011年5月5日)
*13:中国民族報 2012年7月5日

この表の画像版はこちら。拡散・無断転載大歓迎。

見ればわかるように歴代ダライ・ラマが統治していた頃のチベットでは凄まじい悪政により人口が激減していたのが、中国の統治が始まった途端、人口増加に転じ、現在では平和解放時の2倍以上の人口になっている。もちろんチベット族自体の人口も増え続けているので決して「漢族が流入したから人口が増えたように見えるだけ」というわけではない。また、中国全土のチベット族人口も同様に現在では平和解放時の2倍以上に増えている。

続いてダライ集団や西側諸国の反中勢力が主張している「チベット人口600万人の5分の1に当たる120万人ものチベット人が大量虐殺された」なる話の真偽をこのデータと照らし合わせて検証してみよう。

■「1959年のチベットの人口は600万人」という嘘

まず、そもそも「当時のチベットの人口は600万人」という前提からして間違っている。この600万人という人口はダライ集団が長年唱え続けている数字であるが、彼らは発言のたびに「1959年」の人口が600万人だと言ったり「1959年以前」の人口が600万人だと言ったり「現在」の人口が600万人だと言ったりまるで一貫性がない。

例えば、以下のようにである。
1959年、チベットの人口は600万人であった。これは、チベットの国土が日本の6倍であるにも関わらず、人口は日本の20分の1であることを意味している。
現に、チベット全土へ流入した中国人の数は約750万人に達し、チベット人の全人口約600万人を上回っている。このため、チベット人は、自らの祖国においてすら少数民族として疎外されているのである。
中国側の説でもダライ集団側の説でも中華人民共和国建国以前のチベットには漢族はほとんどいなかったとされるので、ダライ集団が主張する「1959年、チベットの人口は600万人であった」というのはそのまま当時のチベット族の人口も同程度だったと主張しているものと見做していいだろう。つまりダライ集団は1959年から現在まで半世紀もの間、チベット族の人口が600万人のままほとんど変動していなかったと主張していることになる。

だが地球上どの地域であっても必ず例外なく、絶えず一定の数の人間が新たに生まれ、また絶えず一定の数の人間が病気や事故や老衰で死んでいくものであるし、その上、発展著しい地域である20世紀後半のチベットにおいて半世紀もの間ぴったり600万人のまま人口が停滞していることなど常識的に考えてあり得ないことである。また、逆にダライ集団の主張に沿って仮に「中国によって120万人のチベット人が虐殺された」と考えたとしても、やはり人口に全く変動がないというのは極めて不自然な話である。

しかもダライ集団によればこの600万人という人口の根拠は、
1959年の中国政府によれば、チベットの人口は600万人以上で、その内130万人はチベット自治区(TAR)に居住していて、ほぼ500万人はチベット自治区外のチベット人地区に居住していたという。
などと、「1959年に中国政府がそう発表していた」としている。

しかし中国が1959年にチベットの人口を600万人と発表した事実など一切ないし、ダライ集団もその典拠となる具体的なソース名を一切挙げていない。それでもこの600万人という人口をダライ集団がしばしば言うように1959年のものと一旦仮定して話を進めてみることにしよう。

上記の表にあるように中国で実施された第1回国勢調査によれば1953年のチベットの人口は127万5000人で、中国全土のチベット族人口は277万5000人である。これを考慮すればわずか数年後の1959年に中国政府がチベットあるいはチベット族の人口を数年前と全く異なる数字の600万人であると発表するとは考えにくい。

つまりこの600万人という人口を中国政府の発表した数字であるとするのであれば、それを主張する側であるダライ集団がその確固たる証拠を出さない限りは全くの虚偽情報だと言わざるを得ない。

これに対し、「チベット亡命政権が人口600万人としている地域とはチベット自治区だけでなく青海省と、甘粛省・四川省・雲南省の一部も含めた大チベット地域のことだ」と抗弁する者もいるだろう。しかし何度も言うように1953年の国勢調査によれば中国全土のチベット族人口はわずか277万5000人であるし、そもそも中国はいわゆる「大チベット」なる概念自体を認めていないので「大チベット」地域の人口統計など取るはずがない。

したがって1950年代のチベットの人口は600万人ではなく国勢調査によって出た数字である127万5000人あるいは277万5000人とするのが正しく、同様に「チベット全土へ流入した中国人の数は約750万人」というのも何の根拠も示されていない怪しい数字なので信憑性がないと見做すのが正しい。

そして次はこの数字を用いて「チベット120万人大虐殺」の真偽を引き続き検証しよう。

■人口と平均寿命の推移を見ればわかる「チベット120万人大虐殺」の大嘘

先述の通り、中国によるチベット平和解放の直後である1953年に実施された第1回国勢調査によれば当時のチベットの人口は127万5000人で、中国全土のチベット族人口は277万5000人である。仮にダライ集団や西側諸国の反中勢力が主張するように中国がチベット族を人間扱いせず残酷に虐げ、120万人もの大量虐殺を行ったとすればチベットの人口はほとんどが消失して約7万人程度に、中国全土のチベット族人口も半減して約157万人程度に激減するはずである。

ところがその「120万人大虐殺」が行われていたはずのチベットおよびチベット族の人口は年々急増し続け、2010年にはチベットの人口は300万2166人に、中国全土のチベット族人口は628万2200人に増え、それぞれ2倍以上にもなった。もちろん2008年のデータを見ればチベット人口287万人のうち9割を占める270万人がチベット族なので「チベットに漢族を大量に流入させて見かけ上の人口を増やしつつチベット族だけを大量虐殺した」などというわけでも決してないし、そもそも中国全土のチベット族人口自体も2倍以上に増えている。

よって「120万人大虐殺」などというのは全くの嘘であり、例え中国によって「殺された」者たちがいたとしてもごく少数に過ぎず、多くは反政府勢力やテロリストなどに対する然るべき取り締まりと処罰の域を出ないものである。それどころか歴代ダライ・ラマ統治時代に激減していたチベットおよびチベット族の人口が中国統治時代になった途端に急増し始め、2倍以上に増えたということは、むしろ中国はチベットの政教一致の封建農奴制を撤廃し、各種の野蛮な風習を禁止し、各種のインフラを整備して近代化を進め、医療衛生状況を大幅に改善し、近現代的な教育を普及させ、チベットの人々の生活水準を飛躍的に向上させるなどの「良いこと」ばかりをしてきた証である。

なお、先述のようにダライ集団は「1959年のチベットの人口は600万人」という嘘を広めてきたわけであるが、中国統治下でチベット族の人口が2010年には628万2200人に増え、本当に600万人以上になってしまったのは実に皮肉なことである。

これからも中国においてチベット族の人口は順調に増え続けると予想されるが、将来的にダライ集団が「中国によって人口600万人の5分の1に当たる120万人が大量虐殺された」はずのチベット族が600万人を大きく上回る人口を抱えているという事実を知った時、彼らは一体何を思うのだろうか?

また、中国統治下のチベットの平均寿命も見てほしい。

チベットの平均寿命の推移
チベットの平均寿命
1959年 35.5歳 *1 この年に中国のチベット民主改革によって政教一致の封建農奴制が撤廃され、近代化によって平均寿命が急速に延び始める。
1990年 59.64歳 *2 第4回国勢調査。
2000年 64.37歳 *2 第5回国勢調査。
2007年 67歳 *1 -
出典
*1:『チベット住民の健康レベルの変化』(チャイナネット 2009年4月7日)
*2:横浜国立大学教育人間科学部教授・村田忠禧『チベット問題を考えるための資料』

この表の画像版はこちら。拡散・無断転載大歓迎。

見ればわかるように中国統治下でチベットの平均寿命は一貫して延び続けている。もしダライ集団が唱えるようにチベット人口の5人に1人が殺されるような常軌を逸した事態が起こっていれば生存率が大幅に下がるので平均寿命が延びるはずがないが、現実にはチベットの平均寿命は1959年に35.5歳だったのが中国統治下で2007年には67歳へと、約2倍に延びた。

これも「チベット120万人大虐殺」説が嘘であることを裏付ける証拠の一つである。

(第3章に続く)



第3章:中国と日本と英国の統治政策における人口推移を比較してわかる事実


■中国のチベット統治の実態を再確認

さてここでもう一度、中国のチベット統治が本当はどんなものであるのかを確認しておこう。そもそも中国のチベット統治は本当に反中勢力が言うような悪いものなのだろうか?

その事実は全くの逆で、中国はチベットにおいて、

…などなど、中国のチベット統治は良い点の枚挙にいとまがないほど極めて模範的で善良な統治である。このような平和で豊かな社会で果たして特定民族に対する120万人規模のジェノサイドなど発生しうるのだろうか?

ここでそんな中国統治下のチベット族の人口推移を、右翼日本人が賛美する日本の朝鮮統治における人口推移、および欧米帝国主義の典型である英国の植民地統治における人口推移とじっくり比較してみよう。

■朝鮮の人口推移データについて

だがその前に、ネトウヨが提示する朝鮮の人口推移データは数字が間違っているのでそれについての指摘をしたい。ネトウヨが提示する朝鮮の人口推移データは以下の通りである。
朝鮮半島人口の推移
1753年:730万人
1850年:750万人
1906年:980万人(第二次日韓条約により、1905年より朝鮮は日本の保護国へ)
1910年:1312万人(日韓併合条約により、1910年より朝鮮は日本の一部となる)
1920年:1691万人
1930年:1968万人
1940年:2295万人
1944年:2512万人(1945年、日本の敗戦により総督府の統治権は米軍へ移譲)
よく見ると1906年に980万人だった人口がわずか4年後の1910年には332万人も急増して1.3倍の1312万人になっている。これはこの4年間で毎年約83万人ずつ人口が増え、1年平均増加率が7.6%にものぼる極めて異常な人口増加ペースである。

さらにもしもこのまま朝鮮が日本に併合されずに独立国であり続け、毎年約83万人ずつ人口が増え続けていたとすれば、1944年には人口が3154万人も異常増加して合計4134万人にもなり、わずか38年間で4.2倍に増えていたことになる。例えこの後に多少人口増加ペースが下がったとしても3倍程度にまでは増えていたのではないか。一体、当時の朝鮮はどれだけ異常なベビーブームだったのだろうか?

つまりはっきり言ってしまえばこれは現実にはまずあり得ない世界史上空前絶後の人口増加ペースということであり、この統計の信憑性のなさを物語っている。ネトウヨはこの統計を根拠に「日本が朝鮮を統治したおかげで人口が2倍に増えた」と盛んに喧伝するが、もしこの人口統計が正確なものだとすれば、朝鮮が日本に併合されずに独立を保っていれば人口が2倍どころか3倍や4倍に増えていたことになり、日本に併合されたせいでかえって人口が増えなくなってしまったことになる。

これに対し、「いや、日本が朝鮮を保護国にしたおかげで人口が急増したんだ」と抗弁する者もいるかもしれないが、もしそうだとしてもやはり併合したことによって人口増加ペースが下がってしまったことになり、日本の朝鮮統治は併合前の朝鮮よりも悪政だったことになってしまう。いずれにせよこの人口推移データの数字が正しいとすればネトウヨは自分で自分の首を絞める結果になってしまうのである。

ところで日韓併合前の朝鮮はどうやら日本の手を借りず自力で近代化に着手していたらしく、イザベラ・バード『朝鮮紀行』(講談社学術文庫)の「第三十六章 一八九七年のソウル」(P543〜544)には以下のような記述がある。
出典:イザベラ・バード『朝鮮紀行』(講談社学術文庫)の「第三十六章 一八九七年のソウル」(P543〜544)

ソウルの多くの区域がなかでも特に《南大門》と《西大門》の付近が文字どおり変貌していた。

両わきに石積みの深い運河があり石橋のかかった、狭いところで幅55フィートの大通りは、かつてコレラの温床となった不潔な路地のあったところである。

狭かった通路は広げられ、どろどろの汚水が流れていたみぞは舗装され、道路はもはやごみの「独壇場」でなく、自転車が広くてでこぼこのない通りを「すっ飛ばして」いく。

「急行馬車」があらわれるのも間近に思われ、立地条件のすばらしいところにフランス系のホテルを建てる構想もある。正面にガラスをはめこんだ店舗は何軒も建っているし、通りにごみを捨てるのを禁止する規則も強化されている。

ごみや汚物は役所の雇った掃除夫が市内から除去し、不潔さでならぶもののなかったソウルは、いまや極東でいちばん清潔な都市に変わろうとしている!
イザベラ・バード『朝鮮紀行』はネトウヨが「日韓併合前の朝鮮はこんなにひどい社会だった」と主張する際に多用する第三者視点の資料だが、その本にこのような記述があるのだからこの朝鮮の自力近代化の動きがあったのは事実と考えて間違いないだろう。1897年に李氏朝鮮の国号が大韓帝国に変わる以前と以後では朝鮮を取り巻く環境がまるで異なるのである。よって1897年以前である1850年までの人口増加ペースと、以後である1906年からの人口増加ペースが異なること自体はあり得ないことではない。

しかし、もしこれらを根拠に南朝鮮人が「日帝の韓国植民地支配さえなければ我が民族は自力で近代化を成し遂げ、第二次大戦後までに人口を2倍どころか4倍に増やすことに成功していたニダ。だから日帝の韓国植民地支配はやっぱり悪いことずくめだったニダ」などと主張し始めたら大変である。

また、その後の人口推移についても水野直樹『日本の植民地支配』(岩波ブックレット)など各種の資料によれば、1925年に国勢調査が実施されて正確度の高い数字が得られるようになる以前の朝鮮の人口調査では多くの女性や被差別民などの人々が調査漏れになっており、正確度の低い数字だったと指摘されている。

要はここまでの説明を一言にまとめればネトウヨが提示する朝鮮の人口推移データは全体的に信憑性がなく、使い物にならないということである。そこで、多くの女性や被差別民などの人々の人口も加算されたこちらの人口推移データバックアップ)を見てみよう。
朝鮮の人口推移
1910年:1742万7000人
1915年:1765万6000人
1920年:1807万2000人
1925年:1902万0000人
1930年:2043万8000人
1935年:2220万8000人
1940年:2354万7000人
1944年:2512万0000人
このうち1910年から1920年までは調査漏れになった人々の人口を加算した推計であり、1925年以降は国勢調査による人口統計である。ちなみに前述の水野直樹『日本の植民地支配』では併合直前の朝鮮の人口について「日本側は朝鮮人人口を1700万人くらいと予想していた」との指摘がなされているが、こちらの1910年の人口1742万7000人はその当時の日本側の予想とほぼ合致する数字なのでやはりこちらの統計のほうがネトウヨ提示資料よりも信憑性が高いことがわかる。

よって実際には日本統治下の朝鮮の人口は三十数年間で2倍に増えたのではなく、併合時に1742万7000人だった人口が後年に1.4倍の2512万0000人に増えたのである。

ネトウヨが南朝鮮人並みかそれ以上に息を吐くように嘘をつく歴史捏造主義者なのは今に始まったことではないが、「南京大虐殺当時の南京人口は20万人だった(だから30万人虐殺は不可能)」などというとっくの昔に論破されつくした南京人口のデマ数字を未だに妄信していることといい、せめて持論の根拠となる人口統計くらいは正確なものを使ってほしいものである。

それはさておき、かつては「人口」としてすら扱われていなかった人々が「人口」として扱われるようになったという意味では確かに日本の朝鮮統治は「素晴らしかった」と言えるだろう。それは素直に評価されるべきことである。だがその「素晴らしい」日本の朝鮮統治は中国のチベット統治と比べても果たして素晴らしいものなのか、この後いよいよ比較検証をしてみよう。

■中国と日本と英国の統治政策における人口推移を比較してわかる事実

中国統治下のチベットは近代化によって現地民の人口が急増している地域であるが、過去の似たような事例として日本統治下の朝鮮や英国統治下のインド・パキスタンなどがある。朝鮮やインド・パキスタンも当時、統治者によって近代化されたことで現地民の人口が増えていたのである。

それぞれの地域の人口推移は以下の通り。このうち「中国統治下の中国全土のチベット族人口」と「日本統治下の朝鮮の人口」はそれぞれ前述した人口統計がソースである。
中国統治下の中国全土のチベット族人口
1953年:277万5000人
2010年:628万2200人
(57年間で2.3倍に増加、57年間の人口増加率は126.4%、1年平均増加率は1.4%

日本統治下の朝鮮の人口
1910年:1742万7000人
1944年:2512万0000人
(34年間で1.4倍に増加、34年間の人口増加率は44.1%、1年平均増加率は1.1%

英国統治下のインドの人口ソース/バックアップ
1901年:2億3839万6327人
1941年:3億1866万0580人
(40年間で1.3倍に増加、40年間の人口増加率は33.7%、1年平均増加率は0.7%

英国統治下のパキスタンの人口ソース/バックアップ
1901年:1657万6000人
1941年:2828万2000人
(40年間で1.7倍に増加、40年間の人口増加率は70.6%、1年平均増加率は1.3%
「中国統治下の中国全土のチベット族人口」だけ1953年から2010年までの57年間という長めの期間を取って比較しているから他と比べて不公平な比較だと言うなら、改めて1953年から1990年までの37年間に絞って比較してみよう。すると次のようになる。
中国統治下の中国全土のチベット族人口
1953年:277万5000人
1990年:459万3000人
(37年間で1.7倍に増加、37年間の人口増加率は65.5%、1年平均増加率は1.4%

日本統治下の朝鮮の人口
1910年:1742万7000人
1944年:2512万0000人
(34年間で1.4倍に増加、34年間の人口増加率は44.1%、1年平均増加率は1.1%

英国統治下のインドの人口
1901年:2億3839万6327人
1941年:3億1866万0580人
(40年間で1.3倍に増加、40年間の人口増加率は33.7%、1年平均増加率は0.7%

英国統治下のパキスタンの人口
1901年:1657万6000人
1941年:2828万2000人
(40年間で1.7倍に増加、40年間の人口増加率は70.6%、1年平均増加率は1.3%
チベットが中国によって近代化された証拠は当サイトでいくらでも紹介しているし、朝鮮が日本によって近代化されていた証拠はネトウヨのサイトに行けばいくらでも見られるので割愛。そして当時のインドが英国によって近代化されていた証拠は当サイトに掲載した「河口慧海が記録した旧チベットの実態」にある英領インドに関する記述の通りで、当時のパキスタンも英領インド帝国の一部だったので同様である。
(「旧チベットは英国植民地だった同時代のインドと比べても近代化が遅れていた」より)

出典:河口慧海『チベット旅行記』の「第百八回 チベットと英領インド」

国民の感情 ですからダージリンに居るチベット人は皆インド政府の処置に満足して、不平をいわないのみならず、実際心服して英政府のために働きたいという考えをもって居る者が沢山ある。もちろん半期あるいは一年位滞在して居る者にはそんな考えを持って居る者はないけれども、三年、五年と住むに従って、どうもイギリス人の遣り方は立派である、公明正大である、慈悲深い遣り方である。こういう政府の下に属するのは非常に結構である。チベットではちょっと盗みをしても、手を切るとか眼玉を抉(くじ)り取られるとかいうような残酷な刑に処せられるけれども、英領インドではどんな重い罪を犯しても、それで死刑に処せられるということはまずない位で実に寛大な刑法である。

道路なども非常に立派なもので、神の国の道のように出来て居る。また病気になっても施薬病院があって結構な薬を銭も取らずにくれる。それから貧苦に迫って食物がなくなればまた相当の補助をしてくれる。こんな結構な政府はどこにもない。チベットでは食物がなくなれば誰もくれる者がないから、餓死をしなくちゃあならんというて、一度足をダージリンに入れたチベット人の誰もが去るに忍びない心を起すです。

もちろんチベットにおいて沢山財産のある者は、いったんダージリンに来たからといって永住する気にもならず、帰る者も沢山ありますけれども、その人間でもやはり英領インドの道路、病院、学校等の完全なる設備を見て大いに感服して帰って行く。なおチベット人の眼を驚かすに足るものは、鉄道、電信、電話その他諸種の器械類の敏速なる働きを見て大いに仰天して、これはとても神の知識でなくては出来得ない事である、という具合に感じて帰って行く者が多いです。
当時の英領インド帝国の写真も多数残っているが、ここではそのほんの一部を紹介する。

※画像クリックで拡大。

英領インド・カルカッタのチョウロンギ通り 英領インド・カルカッタのハウラー橋 英領インドの鉄道

英領インド・ボンベイのVT(ヴィクトリア・ターミナス)駅 英領パキスタン・カラチの Bunder Road 英領パキスタン・ラホールの街並み

特に英国統治時代に建造されたインドのインフラの中でも「VT(ヴィクトリア・ターミナス)駅」は現在、「チャトラパティ・シヴァージー・ターミナス駅」として、ダージリンの鉄道は「ダージリン・ヒマラヤ鉄道(インドの山岳鉄道群)」としてそれぞれユネスコの世界文化遺産に登録されている非常に文化的価値の高い建造物である。

中国のチベットと日本の朝鮮と英国のインド・パキスタンはそれぞれが統治者によって近代化された地域であり基本的な条件は同じであるが、この中で最も人口増加が著しいのは中国のチベットおよびチベット族である。
中国統治下の中国全土のチベット族人口
= 37年間で1.7倍に増加、37年間の人口増加率は65.5%、1年平均増加率は1.4%

日本統治下の朝鮮の人口
= 34年間で1.4倍に増加、34年間の人口増加率は44.1%、1年平均増加率は1.1%

英国統治下のインドの人口
= 40年間で1.3倍に増加、40年間の人口増加率は33.7%、1年平均増加率は0.7%

英国統治下のパキスタンの人口
= 40年間で1.7倍に増加、40年間の人口増加率は70.6%、1年平均増加率は1.3%
それもそのはず、日本の朝鮮統治と英国のインド・パキスタン統治が近代化を伴っているとは言え結局は帝国主義国による植民地支配に過ぎず現地民を搾取するものであったのに対し、中国はチベットおよびチベット族を同じ国民として扱い尊重しているので当然と言えば当然だが。

そしてここからは少々大雑把な計算になるが、この数的事実を前にしても中国でチベット族に対する「120万人大虐殺」があったと言うのならば、中国全土のチベット族よりも人口増加率が低く、その約5倍前後の人口を抱えていた日本領朝鮮と英領パキスタンでは120万人の5倍である600万人もの朝鮮人大虐殺とパキスタン人大虐殺があり、それらよりもさらに人口増加率が低くさらに10倍以上の人口を抱えていた英領インドでは600万人の10倍である6000万人以上ものインド人大虐殺があったことになる。そうでもなければ中国全土のチベット族が日本領朝鮮や英領インド・パキスタン以上の人口増加ペースを示していることの説明が付かないのだから。

600万人大虐殺と言えばナチスがホロコーストしたユダヤ人の総数に匹敵し、6000万人大虐殺はその実に10倍に匹敵するが、中国のチベット統治をナチスのホロコーストのごとく悪魔化したい西側諸国の人間にとっては自国あるいは友好国である日本や英国こそが実はナチス国家であるということになっても本当にいいのだろうか?

ナチスによるユダヤ人600万人ホロコーストは今現在でも最悪の人種差別行為として世界中で非難され続けているわけだが、もし日本が朝鮮人600万人大虐殺を行ったなどというトンデモ説が朝鮮人によって「チベット120万人大虐殺」の嘘と同じように世界に広められ、それに伴い自称被害者の証言なども続々と捏造されて流布されるようになれば、もはや従軍慰安婦問題どころの騒ぎではなくなり、日本は南北朝鮮によって「朝鮮民族を600万人ホロコーストした最悪のナチス国家」として永久に謝罪と賠償を要求され続けることになる。

実際のところ、南朝鮮のあるサイトには以下のようなことが書かれている。
[朝鮮語]

그럼 우리 한민족은 어떤 민족이냐?

근대 역사의 과정에서 보면 유대인이 20세기에 약 6백 만 명이 가스실에 끌려가서 죽었다고 하는데, 그러나 우리 한민족은 아마 인류 역사상 가장 잔혹한 일본 제국주의자에 의해서 공식적으로 8백 만 명이 학살이 되었다. 8백 만 명.

김삼웅 선생이 쓴 “일본 우리를 얼마나 망쳐놨나”. 언더우드 선교사가 증언한 게 있는데 여성을 옷 베껴 놓고 유방을 도려내고 눈알을 파내고 그러면서 낄낄낄낄 웃고 그렇게 참혹하게 죽어간 이 민족이, 남경학살의 역사 박물관에 가면 참혹한 모습을 보는데 우리 한민족은 사실 그 이상 당했다.

일본 제국주의 명치의 특명을 받은 특공대들이 히로시마에서 인천항으로 들어와서 장흥 서남방으로 해서 갑오동학 농민혁명군 30만 명을 죽였다. 사실은 60만 명 거반 다 죽은 것이다. 20세기 초엽 한일합방 이후 우리 한민족의 역사 탄압이라는 것은 전대미문의 사건이다.

[日本語] (Yahoo!翻訳による機械翻訳)

それではうちの韓民族はどんな民族なのか?

近代歴史の過程で見ればユダヤ人が 20世紀に約 6百万人がガス室に引かれて行ってたまらなかったと言うのに、しかしうちの韓民族は多分人類歴史上一番残酷な日本帝国主義者によって公式的に 8百万人が虐殺になった。 8百万名。

ギムサムウング先生が使った “日本私たちをいくら台無しにしておいたか”. アンダーウッド宣教師が証言したのがあるのに女性を服引き写しておいて乳房を抉って目の玉を掘りだしてそれとともにキルキルキルキル笑ってそんなに残酷に死んだこの民族が、南京虐殺の歴史博物館に行けば残酷な姿を見るのにうちの韓民族は実はその以上あった。

日本帝国主義明治の特命を受けた特攻隊が広島で仁川港に入って来て長興西南部屋にして甲午東学農民革命軍 30万人を殺した。 事実は 60万人去般すべて死んだのである。 20世紀草葉韓日併合以後うちの韓民族の歴史弾圧というのは前代未聞の事件である。
「ナチスが虐殺したユダヤ人が600万人なのに対して日本が虐殺した韓国人は800万人」、「日本帝国主義者は恐らく人類史上一番残酷」、「日本の韓国人虐殺は南京虐殺よりも残酷」、「日本は甲午農民戦争で韓国人30万〜60万人を殺した」、「日本の韓国人弾圧は前代未聞の事件」…などとあまりにも極端すぎる主張のオンパレードで、いかに日本軍が残虐な侵略戦争を起こした軍隊だったと言えども俄かには信じがたい話である。もちろんこれらの主張を裏付ける客観的証拠は何も提示されていない。

「公式的に 8百万人が虐殺になった」とあるがこれが本当に南朝鮮政府の公式見解なのかは不明であるし、これらの極端な主張が南朝鮮国民の間でどれだけ一般的に支持されているのかも不明であるが、少なくともこのような主張が多かれ少なかれ南朝鮮に実在しているのは確かである。

これを読んで「バカじゃないのか。日本統治下の朝鮮では人口が急増していたのに800万人大虐殺なんて絶対にあり得ないことだ」と思ったそこの貴方には中国統治下のチベットについても同じように考えてみてほしい。
「朝鮮人800万人大虐殺」説
客観的証拠はない。しかも日本統治下で朝鮮の人口が1743万人から2512万人に急増しているので、そのような規模の大量虐殺があったとはまず考えられない。

「チベット人120万人大虐殺」説
客観的証拠はない。しかも中国統治下でチベット族の人口が277万人から459万人、628万人に急増しているので、そのような規模の大量虐殺があったとはまず考えられない。
やはり常識的に考えればどちらの「大虐殺」説も現実にはまずあり得ないファンタジーの類いである。

しかし、右翼日本人は日本統治時代の朝鮮の人口急増を根拠に南朝鮮人の「日本による朝鮮民族ホロコースト」なる主張を否定しながら、それと同じ口で中国を貶めるために「チベット120万人大虐殺」なる嘘をさも事実であるかのように広めたせいで、自ら「人口が急増していようが日本による朝鮮民族ホロコーストはあった」と証明してしまったのである(皮肉)。

要は中国に入国することすらできず、いい加減な「調査」でしかチベット関連のことを語れないダライ集団が唱える「チベット120万人大虐殺」の信憑性など、南朝鮮人がいい加減な根拠で唱える「日本が併合時代に朝鮮民族数百万人をホロコーストした」という与太話と同程度のものに過ぎないということである。

(第4章に続く)



第4章:反中勢力も中国の人口調査を「追認」


■反中勢力も中国の人口調査を「追認」

ここまで主にチベット族の人口が中国の統治下で急増し続けていることを決定的な証拠として「チベット120万人大虐殺」の嘘を暴いてきたわけであるが、この後に予想されるのは「チベット族の人口推移とやらは中国のプロパガンダであり信用できない」などと難癖を付ける者が現れることである。

しかし、中国が発表するチベットの人口や平均寿命をはじめとする数々の数字の多くは国勢調査によって出た数字である。国勢調査とは国の正確な社会状況を調査して把握するためのものであり、国が様々な政策を実行する際の参考にするためにその数字には嘘偽りのない正確なものが要求される。だからもしプロパガンダをすることだけを目的に間違った数字をでっち上げたりすれば本末転倒なことになるので、やはり中国の国勢調査によって出た数字は信憑性のある正しいデータであると考えて間違いはないのである。

そしてその中国が発表したチベット族の人口調査は反中勢力ですら「追認」している。まず、次に掲載する「チベット族とウイグル族の主な居住地域」という画像は嫌中ネトウヨのブログなどでチベット問題や新疆問題を論ずる際に多用される画像である。

この画像の元々の出所は今となっては確認不可能であるが、見たところ恐らく2008年の北京オリンピックの頃に日本のネットニュースサイトが作成して記事に添付していた画像資料と思われる。

この画像には2000年のチベット自治区のチベット族人口は241万人であると書かれているが、これは当サイトがまとめた「チベットおよびチベット族の人口推移」の表にある2000年第5回国勢調査時のチベットのチベット族人口241万1100人と一致する数字である。ここからこの画像に載っている数字の出典である「00年人口統計」とは中国の国勢調査であることがわかる。

つまりこの画像が嫌中ネトウヨのブログなどで多用されているということは、事実上、嫌中ネトウヨたちですら中国の人口調査を正しいものであると「追認」しているのである。

同じく、ダライ集団と日本の右翼言論人である櫻井よしこはそれぞれ「中国の虐殺のせいでチベット人の人口がこんなに減ってしまった」という誤った主張をする文脈で中国の人口調査を持ち出して使用している。

2009年9月5日にダライ集団は「1959年に600万人だったチベット高原全土のチベット民族の人口が1990年代の中国のデータによれば490万6500人にまで減少した。これは中国のチベット120万人大虐殺で人口が減少した結果である」という旨の次のような発言をした。
1990年と1995年の間に発行された中国の出版物のデータによると、チベット高原全土におけるチベット民族人口は490万6500人しかでないとされていて、これらの数字は混乱に満ちている。1959年から1990年代にかけてチベット民族の人口が100万人も減少したのは、この間に死亡した120万人と亡命した10万人のチベット人を数えた結果であると仮定して間違いないだろう。
同様に、2014年7月19日に櫻井よしこは「1959年に600万人だった中国国内のチベット人の人口が1982年の中国の人口調査によれば387万人にまで減少した。つまり中国のチベット大虐殺でチベット人の人口の約3分の1が殺されたのである」という旨の次のような発言をした。
82年の中国政府の人口調査は、当時の中国国内のチベット人総人口を387万人余としており、総人口の約3分の1が殺されたことになる。
これらの際に事実上、彼らは中国の人口調査を正しいものであると「追認」しているのである。

ここでこれらの話の種明かしをしよう。ダライ集団の言う「1990年代のチベット人の人口は490万6500人」というのは「チベットおよびチベット族の人口推移」の表にある1990年第4回国勢調査時の中国全土のチベット族人口459万3000人の数年後の人口のことであり、櫻井よしこの言う「1982年のチベット人の人口は387万人」というのは同じ表にある1982年第3回国勢調査時の中国全土のチベット族人口387万人のことである。

そしてダライ集団や櫻井よしこの言う「1959年のチベット人の人口は600万人」というのはダライ集団が長年唱え続けている根拠のない出鱈目な数字である。ダライ集団はこの600万人という数字の根拠として「中国政府が当時そう発表していた」とうそぶいているがそのような事実は一切ないし、また人口600万人の典拠となる具体的なソース名も一切挙げていない。
1959年の中国政府によれば、チベットの人口は600万人以上で、その内130万人はチベット自治区(TAR)に居住していて、ほぼ500万人はチベット自治区外のチベット人地区に居住していたという。さらに1988の北京レビュー誌によれば、チベット民族全人口は600万人で、その内200万人はチベット自治区に居住しており、400万人はチベット自治区外のチベット人地区に居住していたという。
この発言ではダライ集団は1988年のチベット族人口も同じく600万人とし、その典拠を「北京レビュー誌」であるとしているが、具体的に何月何日に出版された号に載っていた情報なのかもはっきりと明言していない以上、単なる出任せを言っていると疑われても仕方がないし、もしこの600万人という数字が本当に1959年、あるいは1988年当時の中国が発表していた数字だと言うなら、それを主張する側であるダライ集団が改めてその確固たる証拠を出さなければならない。

ちなみに中国の1953年第1回国勢調査によれば当時の中国全土のチベット族人口は277万5000人であり、1982年第3回国勢調査によれば当時の中国全土のチベット族人口は387万人なので、それらを考慮すればそれぞれ前回の国勢調査からわずか6年しか経過していない1959年や1988年に中国が中国全土のチベット族人口を数年前と全く異なる数字の600万人であると発表するとは考えにくい。

要は実際の中国全土のチベット族人口は元々600万人だったのが減少して後年に387万人や490万6500人になったのではなく、元々277万5000人だったのが増加して後年に387万人や490万6500人になったのである。

また、もし100万歩譲ってダライ集団と櫻井よしこ両方の言い分を認めるならばそれでも1982年に387万人だったチベット族人口が1990年代には490万6500人に増加した、つまり中国の統治のおかげでチベット族の人口が大幅に増加したことを認めることになり、どちらにせよダライ集団と櫻井よしこの主張はろくな整合性もない荒唐無稽な代物である。

とにかく要点は中国の国勢調査による人口統計は、中国の敵対勢力であるダライ集団や右翼日本人ですら自ら進んで認めている確かな信憑性のあるデータであるということである。彼ら反中勢力は「1959年のチベット人の人口は600万人」という虚構の数字ただ一つを除き、チベットについて論ずる際に使う数字は彼らが敵視する中国が発表する統計にわざわざ頼らざるを得ないほどに何の数字も出せないのが現状なのである。そんな人々が主張する「120万人大虐殺」という数字に果たして信憑性のかけらもあるものなのか。答えはノーである。

(第5章に続く)



第5章:「チベット民族絶滅政策」の大嘘に対するとどめ


■「チベット民族絶滅政策」の大嘘に対するとどめ

反中勢力の中には「120万人大虐殺」どころか「中国はチベット人を民族絶滅させようとしている」なる明白なトンデモ論を本気で唱える者すらいる。

ダライ集団など反中勢力は「中国は多くのチベット人に強制断種・避妊手術を施して民族絶滅に追い込もうとしている」なる与太話を流布しているが、もしそれが事実ならチベット族は子孫を残せなくなり一気に人口が激減するはずである。だが実際にはその与太話とは逆にチベット族人口は中国統治下で順調に増加し続けているので、そのようなことはまずあり得ないと見て間違いない。

もし多くの現地民に対して強制断種・避妊手術が行われていても現地民の人口が増え続けるのであれば、チベット族よりも人口増加ペースが遅い先述の日本領朝鮮や英領インド・パキスタンなどでも同様に多くの現地民に対して強制断種・避妊手術が行われていたことになってしまう。

よって中国においては総死者数120万人にのぼる大量虐殺や強制断種・避妊手術による「チベット民族絶滅政策」など存在しないのは明々白々である。

そもそも「中国はチベット人を民族絶滅させようとしている」というのが本当なら、なぜ1951年のチベット平和解放から60年以上も経過した21世紀の現在でも中国国内からチベット族が絶滅せずむしろ増える一方なのだろう?例えばナチスのホロコーストではたったの数年でユダヤ人600万人、ルワンダの内戦では大量破壊兵器を使わずにたったの3ヶ月程度で80万人が虐殺されたので60年もあれば人口数百万人程度しかいないチベット族を絶滅させることは十分に可能なはずである。

さらに言えば、もし本当にチベット族が絶滅寸前の状態に追い込まれているのなら、今では北海道にわずか2万人程度しかいないと言われている日本のアイヌ民族のようにもはや独立国家を建国することすら不可能なはずである。「中国はチベット人を民族絶滅させようとしている」と「チベットは中国から独立すべき」を同じ口で唱えている者たちは自分の言っていることの整合性すら付けられないのだろうか?

なお、中国人民元の5元紙幣の第4版にはチベット族の肖像画が載っている。通貨に少数民族の肖像画を載せるほどに少数民族を尊重している国は世界中探しても中国以外にはそうそうあるものではない。これは中国がチベット族の絶滅など画策しておらず、むしろ存在を認めて保護していることの証である。


中国人民元の5元紙幣の第4版にチベット族の肖像画

こんなことは自称「単一民族国家」の日本にはもちろん、やたらに「人権」を連呼する偽善的な欧米諸国にすら逆立ちしても真似できることではないであろう。

■その他、虐殺に含まれるおそれがある事例について

ここで念のために言っておくが、当サイト管理人は決して中国によって「殺された」チベット族がゼロだったと言っているのではない。中国統治下のチベットでは厳密に大量虐殺やジェノサイドと定義できるような出来事はなかったと言っているのである。

はじめに述べたようにゲリラ戦やテロの取り締まりや死刑の結果出た死者ならいくらかはいたし、それは中国側の記録にもあることなので疑いようのない事実であるが、戦闘や死刑で死んだ人間は虐殺の犠牲者であるとは言えないのである。

その他、チベットで僧侶や尼僧が焼身自殺した事例などもあるが、これもやはり自分で死んだのだから「中国が虐殺した」と言うのは無理がある。

「焼身自殺が発生するのは中国がチベット人を弾圧・虐殺している証拠」とする主張があるが、それと同じ考え方をすれば日本が植民地支配をした台湾や朝鮮、それに軍事占領をした中国や東南アジアで数々の抗日運動が発生していたのだから、日本がアジアの人々を弾圧・虐殺し、南京大虐殺や従軍慰安婦など数々の残虐行為を働いたことは事実と確定するわけだが、「日本はアジアを解放するために戦った」と信じたい右翼日本人にとってはそれでも問題ないのだろうか?「焼身自殺があった」ことで証明できるのは「焼身自殺があった」という事実だけである。

ちなみに焼身自殺と言えば右翼日本人の小野寺まさるがツイッターで「焼身自殺は迷惑極まりない犯罪行為」と発言したが、これはきっとチベット内の反政府勢力のことを批判しているのであろう(皮肉)。この発言は多くのリツイートやお気に入り登録がなされているのでたくさんのネトウヨに支持されている言説であることがわかる。

ダライ集団はこういったチベット族の自殺まで「中国による虐殺」に含めているが、もし自殺を虐殺に含めてよいのであれば日本政府は1998年から2012年までの14年間に毎年3万人以上の日本人を自殺という形で虐殺し、合計42万人以上の日本人を大量虐殺したことになる。近年は日本の自殺率も下がってきているとは言え依然として毎年2万人以上が自殺し続けているので今も日本政府による日本人大虐殺政策は継続中である(笑)。

なお、ダライ集団が主張する「120万人大虐殺」の内訳には戦闘や死刑による死者も含まれているが、もちろんそれらの数字にも確固たる証拠はなく相当に誇張されているものであることは言うまでもない。

そしてこれら「中国に対する反乱を起こしたために命を落としたチベット族」がいるのは他でもなくダライ集団や、CIA・統一教会など国外の反中勢力が執拗に「チベット独立」を煽動してきたためである。そうした反政府勢力を中国に「殺させ」、それを基に国外の反中勢力が1の事実に9の嘘を混ぜて最大限に事実を歪曲・捏造してできた作品が、世界の一部で信じられてしまっている「チベット120万人大虐殺」神話の正体である。

もしこの期に及んでもまだ「チベット120万人大虐殺」説をしつこく唱え続ける者がいるなら、是非とも普段、右翼日本人が南京大虐殺について言っているのと同じように、例えば殺されたとされる120万人分のチベット族の遺体や遺骨を提示するとか、中国政府がチベット族ジェノサイドを命じた虐殺命令書などの公文書を提示するなどといった、極めて厳密な物的証拠を出してほしいものである。無論、まず無理な相談であろうが。

ここまで長くなったが、中国統治下で結果的に命を落としたチベット族はいても、チベット族に対する大量虐殺やジェノサイドと定義できるような出来事は起こっていない、それが当記事の結論である。

(「おわりに」に続く)



おわりに:なぜ「チベット大虐殺」は捏造されたのか?


■なぜ「チベット大虐殺」は捏造されたのか?

最後に、なぜこのような大量虐殺が捏造されたのかを考察する。考えられる最大の理由は、反中勢力が自分たちの悪事に対する批判をかわすためにこのような中国の「悪事」をでっち上げたというものである。

世界で「チベット大虐殺」を喧伝しているのは主にダライ集団と西側諸国の反中勢力という、中国と何らかの利害対立を抱える勢力ばかりであり、中国に対する何らかの負い目がないその他の諸国では全くではないにしても「チベット大虐殺」がどうのという中国批判はほとんど見られない。それらの諸国ではせいぜいごく一部で「人権派」気取りの者たちがダライ集団のプロパガンダを真に受けて細々と騒いでいる程度である。

歴代ダライ・ラマ政権はかつて旧チベットを統治していた頃、政教一致の封建農奴制によってチベットの人々を残酷に支配し、1737年に約800万人いたチベット人口を中国による平和解放時の1951年までに1/7の115万人にまで激減させるなど極めて凄まじい悪政を敷き、対外的にはブータンに対して幾度も侵略と民族浄化を繰り返すなど、西側諸国におけるダライの「平和の使者」という幻想とは正反対に暴虐の限りを尽くしてきた。

日本や欧米諸国など西側諸国は19世紀以来、中国を侵略して数々の悪事を働いてきた。アヘン戦争など欧米の悪事も残酷であったが、日本も中日戦争で1000万人の中国人の死者を出し、負傷者なども含めれば3500万人もの人々に侵略戦争の惨禍をもたらした。

過去のことだけではない。現在でも西側諸国はそれぞれが複雑な民族問題を抱えており、それらに対する批判をかわすためにチベットを利用しているとも考えられる。イスラエルの残酷なパレスチナ人迫害は言うに及ばず、それを国家ぐるみで支援している米国。北アイルランド問題を抱え、1973年にはディエゴガルシア島の人々を強制移住させて島を米軍に軍事要塞として使わせるという蛮行に手を染めた英国。バスク人問題を抱えるスペインとフランス。そしてアイヌ民族や琉球民族の固有の言語や文化を百数十年にもわたって破壊し尽くして蔑ろにし、絶滅寸前の状態に追い込んだ日本。その他諸々。

ちなみに日本のアイヌ語と沖縄地方の諸言語(≒琉球語)はユネスコによって
消滅危機言語に指定されており、中でもアイヌ語は2009年の時点でネイティブスピーカーがわずか15人しかおらず消滅危機言語の最も危険な段階である「極めて深刻」に分類されている。一方で中国のチベット語やウイグル語は現在でもネイティブスピーカーがそれぞれ数百万人おり、ユネスコによって消滅危機言語に指定されてなどいないしそれどころか中国による保護と普及が行われている。


西蔵日報という新聞のチベット語版


チベット語の教科書で学ぶチベット族の小学生たち

これら西側諸国の反中勢力はズバリ「中国はチベット人を120万人も大量虐殺して民族浄化している。それに比べれば我が国の少数民族政策は全く問題にするようなことではない」などと言いたいのであろう。

また日本では、日本軍の中国侵略や南京大虐殺の歴史的事実を誤魔化したい右翼勢力ほど「中国のチベット侵略ガー」、「中国のチベット大虐殺ガー」などと大々的に騒ぎ立て、一方でそれら日本軍の蛮行を反省している左派勢力ではごく一部の「真の人権派」気取りだけが細々と騒いでいるだけという状況を見ても、何のために「チベット大虐殺」などという嘘が広められているのかは明白である。

さらに言えば、日本の右翼勢力の間では「日本も軍拡や核武装をしなければいずれチベットのように中国に侵略され民族絶滅させられる」なるトンデモ中国脅威論がしばしば唱えられている。彼らにとっては「中国の脅威」を口実に日本の再軍国主義化を推し進めるためにも、また内外から批判されている沖縄の米軍基地問題を合理化するためにも、「中国が他国を侵略して併呑し、大量虐殺を行った実例」としての「チベット大虐殺」という反中プロパガンダは必要不可欠なものなのである。

ダライ集団と西側諸国の反中勢力の、自分たちの悪事への批判をかわしつつ中国を貶めるという利害の一致によって作り出されたフィクション、それが「チベット大虐殺」なのである。

なお、この他にも「チベット大虐殺」の嘘を証明する別の証拠が見つかり次第、随時当ページで紹介していく。



参考1:人民日報「100万人以上のチベット人が虐殺されたというのは完全なデマ」


チベットの今と昔(1)200年にわたる人口停滞

暴力テロで有名な「チベット青年会議」は最近、「中国政府は1949年から1989年までに100万人以上の蔵(チベット)人を虐殺した」とする発言を海外で繰り返している。しかし多くのデータと事実によって、この発言が完全なデマであることがわかる。

西蔵(チベット)自治区档案(資料)館には驚くべき事実を示す史料が残っている。封建農奴制下の西蔵では、人口5%に満たない役人・貴族・上層寺院が、土地・草原・山林のほぼ全てと家畜の大部分を所有していた。1950年当時、西蔵には約100万人が暮らしていたが、そのうち90万人が家を持たない人々だった。拉薩市街には2万人ほどが暮らしていたが、路上で暮らす貧民とこじきは1000人以上にのぼったという。

多くの史料によると、和平解放前の西蔵では人口増加が非常に遅く、ほとんどの庶民はいかなる社会保障も受けることができなかった。1950年以前の200年以上の間、西蔵の人口は100万人前後で停滞していた。当時の西蔵地方政府の統計によると1953年の西蔵の人口は114万人にすぎなかった。

大農奴主の索康・旺慶格勒の農奴だった蔵族の曲扎さん(66)は、「昔の西蔵では、家を持つ権利はおろか、人である権利さえなかった。私の母は雇い主に殴り殺された。拉薩(ラサ)大昭寺南西の魯古あたりでは人と犬が食べ物を奪い合う姿が日常的に見られた」と当時を振り返る。(編集 MA)

「人民網日本語版」2008年5月5日



チベットの今と昔(2)人口の急速な増加

西蔵(チベット)自治区の関連部門の統計によると、1950年に約100万人にすぎなかった西蔵の人口は、07年までに約2.8倍の284万1500人に増加し、そのうち蔵(チベット)人が92%を占めている。西蔵の平和的解放、とりわけ民主改革以来、中央政府は一連の措置を取り、西蔵各民族の人々の生産・生活の条件を改善し、生活の質を不断に高めてきた。西蔵の平均寿命は1959年の35.5歳から現在の67歳にまで上がっている。

西蔵自治区は現地の実情に応じて特殊な計画出産政策を設けてきた。自治区政府は1984年から、蔵族の幹部・労働者・都市住民に対して、間隔をおいた2人までの出産を奨励してきたが、実施にあたっては自発性の原則を堅持している。80%を占める多くの農牧民に対しては産児制限を行っていない。

西蔵の平和的解放、とりわけ民主改革以来、中央政府は西蔵財政に対する支援を強化してきた。自治区財政庁の丁業現・庁長によると、「西蔵の財力の成長は主に、中央財政の支持と援助によるもの」。中央財政は07年、西蔵に対して283億2100万元を補助しているが、これは02年の 2.16倍にのぼる額だ。西蔵財政の07年の支出は275億3700万元(02年の2倍)。中央からの補助金の地方財政支出に対する割合は、全国最高の102.8%にのぼっている。

中央政府と自治区政府による蔵族の人民に対する優遇政策と生産・生活改善のための大きな投資によって、蔵族の人口は急速に増加してきた。最新の人口変動サンプル調査に基づいた推計によると、西蔵自治区の総人口は07年末の時点で、1950年の2.8倍となる284万1500人。そのうち蔵族が92%を占め、門巴族や珞巴族などの少数民族が3%、漢族が5%となっている。西蔵の平和的解放以来、中国は西蔵に対して4回の人口調査を行ってきたが、西蔵の総人口に蔵族が占める割合は最高で96.6%に達している。蔵族は依然として西蔵の人口のうち最多を占める民族だ。(編集MA)

「人民網日本語版」2008年5月5日



チベットの今と昔(3)医療体制の充実

西蔵ではすでに、無料医療を基礎とした全面的な農牧区医療制度が構築された。自治区統計局の07年のデータによると、西蔵にある医療機関は1343カ所(1959年から1281カ所増)、病床数は7469台(同6989台増)、医療従事者は9095人(同8304人増)にのぼっている。1000人あたりの病床数は2.64台(同2.25台増)、医療従事者は3.2人(同2.55人増)。妊婦の死亡率は、中華人民共和国成立初期の10万人あたり約5000人から、06年には247.49人にまで低下した。

拉薩(ラサ)市林周県江夏郷加栄村に住む蔵族の阿麦次仁さんは今年3月16日、117歳の誕生日を迎えた。平均寿命が1959年民主改革以前の35.5歳から67歳にまで上がった西蔵自治区は、100歳以上の老人が多い省区の1つにもなった。

少数の遊牧地域を除いて、西蔵に住む全ての家庭は固定した家を持っている。06年に始まった農牧民向けの住宅プロジェクトでは、11万4000千戸の57万人が新しい家に移り住んだ。

改革開放30年以来、西蔵農牧民の年間収入は10%程度の成長速度を保っている。07年、西蔵農牧民の年間収入は平均2788元にのぼり、都市住民の収入は平均11万1311元に達した。(編集MA)

「人民網日本語版」2008年5月5日



※管理人注:

これらの記事の内容は大体は事実に基づいた正しいものであるし当サイト管理人としても内容に賛同するが、二つだけ間違っている部分あるいは誤解を生みそうな部分があるのでその指摘をしたい。

まず「1950年以前の200年以上の間、西蔵の人口は100万人前後で停滞していた」だが、実際には「チベットおよびチベット族の人口推移」でまとめたように歴代ダライ・ラマ統治時代の旧チベットでは1737年に約800万人だった人口が200年以上かけて1/7の115万人にまで激減していたのであり、停滞していたどころの話ではないのである。つまり旧チベットは長い間人口が停滞していた李氏朝鮮などと比べてもはるかに凄まじい悪政が敷かれていたのである。

もう一つは「当時の西蔵地方政府の統計によると1953年の西蔵の人口は114万人」という部分で、「チベットおよびチベット族の人口推移」に掲載した1953年のチベット人口127万5000人とは異なっているが、これは間違いと言うよりは参照した統計の種類の違いによる誤差である。

114万人とは当時、中国の庇護のもとでチベットを自治していた西蔵地方政府の統計による数字であり、127万5000人とは第1回国勢調査による数字である。前者の人口調査は旧態依然とした簡易なものであり大まかな人口しか把握できておらず、正確性はそれほど高くない。とは言え、当時のチベット地方政府が認めていた人口統計ということで積極的に使われることもある。後者の人口調査は国勢調査によるものであり前者よりも正確性が高い。よって数字の正確性の高さを重視するなら後者の人口統計が使われる。

しかしながらこの二つを除けば管理人が書いた「チベット大虐殺」検証記事と基本的な認識は一致している。少なくとも日本の朝鮮統治を正当化したいネトウヨの間で日韓併合前の朝鮮には「中国への毎年美女3000人の朝貢」「試し腹」が「あった派」と「なかった派」に分裂していることなどに比べれば全くの誤差の範囲内である。




参考2:光明日報「人口114万人のチベットで120万人虐殺は不可能」


光明日報、「ダライ・ラマはチベットに災いをもたらしている」

3日付けの「光明日報」はチベット社会科学院の研究員の文章を掲載し、その中で「事実が証明しているように、ダライ・ラマ勢力はチベットに災いをもたらしている」と指摘しました。

文章は、「ダライ・ラマは1950年代、祖国を分裂しようとする武装反乱を起こして以来、民族間の矛盾と暴力をそそのかしてきた。今回の暴動は人為的な災難である」としています。

文章はまた、「長年来、ダライラマはよく『中国はチベットで120万人のチベット人を殺した』と訴えてきたが、1950年代のチベット人口はわずか114万人だった。ダライラマのロジックによれば、チベットは既に無人区になった。しかし、現在のチベット自治区の人口は280万人余り、そのうちチベット族とその他の少数民族は95%以上を占めている」としています。(翻訳:ooeiei)

「中国国際放送局 日本語部」より2008年4月3日



※管理人注:

この「人口114万人のチベットで120万人虐殺は不可能」は「チベット大虐殺」に対する反論の中では残念な部類であり、嫌中ネトウヨが唱える「人口20万人の南京で30万人虐殺は不可能」というデマを思わせる。そのデマからヒントを得て考えた論なのか、それとも嫌中ネトウヨを皮肉っているのか…。

ちなみに、南京大虐殺を否定したい嫌中ネトウヨの言う人口20万人とは南京城内の安全区のみの推定人口が南京全体の人口と誤認されたものであり南京全体の人口ではない。当然、これに関連する「その後、日本軍のおかげで治安が回復して人口が25万人に増えた」という言説にあるのも南京城内の安全区のみの推定人口であり、単に虐殺が行われていた安全区外から安全区内に市民が逃れてきたから人口が増えたように見えるというだけの話なのである。

なお、当時の本当の南京人口は南京城区で40万〜50万人、南京近郊で120万〜135万人、周辺4県半を含めた地域で160万〜185万人程度であり、このことは歴史学者の笠原十九司教授も認めている歴史的事実である。

中国が主張している南京30万人大虐殺とはその発生範囲が南京城内の安全区のみでなく人口160万〜185万人程度の周辺4県半を含めた地域におよび、かつ「民間人30万人」ではなく「捕虜と民間人の合わせて30万人」が日本軍に大量虐殺されたという事件である。さらにこの人口に日本軍の捕虜となった中国兵数十万人を合わせれば日本軍による虐殺の危険に晒された中国人の総数は200万人近くにのぼるので、南京30万人大虐殺は決してあり得ない話ではないのである。

しかしながらこの光明日報の論は、たまに見かける「1950年代に中国はチベットを侵略して120万人のチベット人を大量虐殺した」などと、まるで1950年代だけで「120万人大虐殺」があったかのように言い張る一部の嫌中ネトウヨに対する反論としては十分であり、「南京人口20万人」論のようなまったく意味のない論というわけでもない。




補足:「チベット120万人大虐殺」の嘘に気づいた西側諸国の人々の例


「チベット120万人大虐殺」の嘘はダライ・ラマ14世の胡散臭さに気づいた西側諸国の一部の人々も気づいていたことらしく、数は少ないとは言えネットでそれらの人々の存在を確認することができる。

その筆頭に挙げるべきはやはり「
第1章:チベットで大量虐殺と呼べる出来事があった客観的証拠はない」の節でも紹介した英国人パトリック・フレンチであろう。


パトリック・フレンチ

彼は英国ロンドンに本部を置く反中団体である「自由チベット運動」(Free Tibet Campaign)の元幹部を務めていたほどの反中家であったが、ある時「チベット120万人大虐殺」を裏付ける証拠を探すためにダラムサラ(チベット亡命政権の所在地)で公文書を照会してみたところ、何一つ証拠たるものが見つからなかったことをニューヨーク・タイムズの記事「He May Be a God, but He’s No Politician」(彼は神かもしれないが、決して政治家ではない)で述べている。
[English]

For example, the Free Tibet Campaign in London (of which I am a former director) and other groups have long claimed that 1.2 million Tibetans have been killed by the Chinese since they invaded in 1950. However, after scouring the archives in Dharamsala while researching my book on Tibet, I found that there was no evidence to support that figure.

[日本語]

例えば、ロンドンの自由チベット運動(私はその元幹部である)や他のグループらは、「彼ら(中国)による1950年の侵略以来、120万人のチベット人が中国人によって殺された」と長らく主張してきた。しかしながら、私はチベットに関する自著の調査をすると同時にダラムサラ(チベット亡命政権の所在地)で公文書を探し回ったのち、その数字を裏付ける証拠がないことに気づいた。
もしかすると彼が「自由チベット運動」を脱退したのはそれまで実在を信じて疑わなかった「チベット120万人大虐殺」が全くの嘘であることに気づいたからなのかもしれない。

次に紹介するのは「The Myth of Tibet Genocide」(チベット大虐殺の神話)という記事を書いた欧米のブロガーである。同氏はダライ集団と西側諸国の反中勢力がこれまで「チベット120万人大虐殺」の動かぬ証拠を何一つ提示してこなかったこと、ダライ集団などが主張する「1959年のチベット人の人口は600万人」という出鱈目な数字は実はいわゆる「大チベット」地域の漢族や他の民族も含めた総人口でありチベット族の人口ではないのではないかとの指摘、ダライ集団によって主張されている「120万人大虐殺」のうち飢餓で死んだとされるチベット族の数がコロコロと変遷していることなどを記事に書いている。

そして1953年の国勢調査の時点でチベットの総人口が127万人で中国全土のチベット族人口が二百数十万人なので、もし「120万人大虐殺」があればほとんどの人口が消失するか、そうでなくとも人口が半減するはずなのに、実際にはチベットおよびチベット族の人口が中国統治下で増えていることを指摘し、最後に前述のパトリック・フレンチの調査ですら「120万人大虐殺」の証拠が見つからなかったことを挙げて記事を締めくくっている。

同氏は「チベット120万人大虐殺」をダライ集団が諸外国からの同情を集めるために誇張と捏造を施して作り出した神話であると見ている。同記事のコメント欄に湧いている反中勢力も「中国は悪い国だ」と連呼するばかりで肝心の「120万人大虐殺」の動かぬ証拠は何一つ出せていない。

そして日本のネットユーザーにも「チベット120万人大虐殺」の嘘に気づいている人々がいる。

まずは「転載:農奴社会の独裁者だったダライラマ14世」より引用。
ペマ・ギャルポ(=統一教会)のチベット虐殺捏造といい、
ダライラマサイドのプロパガンダも、中共以上の嘘に満ちています。
中国共産党を「中共」と呼んでいることからもわかるように、彼女は反ダライラマではあっても決して中国共産党支持者ではない。それでも「チベット虐殺は統一教会ペマ・ギャルポの捏造」と言いきっているのである。

続いて「ダライラマは統一教会に祝電を送っていた!!」より引用。
チベット大虐殺などペマ・ギャルポが誇張+一部捏造した「神話」ですよ。
世界平和連合の公式サイトに行ったら分かりますww
ウィキペディア日本語版では相変わらずダライCIAの捏造を元に偏向記事が書かれてますがw
彼も他のブログ記事を見ればわかるように中国共産党ではなくどちらかと言えば中国国民党に好意的な立場のようだが、それでも「チベット大虐殺はペマ・ギャルポによる誇張と捏造」と断じている。

最後は「ネトウヨってどれだけダブスタすれば気が済むんだろう」より引用。
ちなみに亡命政府は120万の根拠を一切出していません。ので、私はこれは誇張と見ています。だからと言って彼らを嘘吐きのペテン野郎などと罵るのは中国ぐらいしかいません。よって南京事件において中国を嘘吐きのペテン野郎などと罵るネトウヨは、その中国そっくりという事ですね。
彼は「ネトウヨは中国と同類である」としてネトウヨのことも中国のことも非難する記事を書いているわけだが、その同氏ですら「チベット大虐殺の犠牲者が120万人という根拠はないので誇張である」と見ている。

このように西側諸国の一部の人々、それも中国共産党支持者でない人々ですら「チベット120万人大虐殺」の嘘を指摘している。これは、南京大虐殺を嘘と主張する者には世界中で日本の右翼勢力の他には、それらに魂を売った石平や黄文雄のような徹底した媚日派しかいないのとは対照的である。ひどい例では右翼日本人が英国人の南京大虐殺否定発言を捏造したことすらあったほど、世界には南京大虐殺否定論者はいないのである。

それでも貴方は「チベット120万人大虐殺」の存在を信じることができるだろうか?



関連項目
  • 中国のチベット平和解放は侵略ではない
  • 平和解放後のチベットの社会・経済発展データ
  • 世界が評価した中国のチベット統治の真実
  • チベット族の人々が語る現在の豊かで幸せな暮らし
  • 西側諸国も公式に認める中国のチベット領有
  • 写真で見る平和解放前と平和解放後のチベット
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