中国のチベット平和解放は侵略ではない

当ページでは「チベット大虐殺」と並ぶチベットの歴史における最大の嘘である「チベット侵略」についての真相を綿密に暴く。

中国のチベット平和解放は歴史的にも法的にも断じて侵略行為ではなく、合法的な国土の統一である。中国は古くから国土の一部であったチベットにおいて英国の帝国主義を駆逐した上に政教一致の封建農奴制を撤廃し、チベットの人々を文字通り解放したのである。



目次
1. 第1章:チベットは歴史上、中国の一部であった
2. 第2章:中華民国時代もチベットは一貫して中国の一部であった
3. 第3章:チベット平和解放と17条協定



第1章:チベットは歴史上、中国の一部であった


ダライ・ラマ一味(以下ダライ集団)および西側諸国の反中勢力は「中国は1951年以前には独立国であったチベット国を軍事侵略して違法に併合した」と言い張っている。西側諸国の多くの人々の間においてはこの歴史認識が全くと言っていいほど疑われることもなく「史実」として広く信じられているが、実のところこの歴史認識は全くの嘘である。

チベットは歴史的に中国の一部である。中国中央政府とチベット地方政府との間で協定が交わされ平和解放が実施された事実はあるが、それも合法的な国土の統一であり断じて他国に対する侵略などではない。以下、それを詳細に説明していく。

■チベットは歴史上、中国の一部であった

まず、清王朝の時代にはすでにチベットは中国の領土の一部に組み込まれていたことに異論をはさむ者はいないであろう。さすがにこればかりはダライ集団も西側諸国の反中勢力も認めていることである。


清王朝の版図

清王朝は漢族系ではなく満州族系の王朝であったため「清王朝は中国ではなく、よってチベットは厳密には中国に支配されていなかった」とする主張があるが、それは間違いである。

清王朝は支配層こそ満州族であったが、科挙をはじめとする歴代中国王朝の国家システムに、漢語(中国語)、そして中華文化・文明を引き継いでいたれっきとした中国五千年の歴史の一部であり、中国から切り離すことのできない中国史の一部である。従って清王朝も他の中国王朝と同じく、中国なのである。

また、モンゴル族系の王朝であった元王朝のほか、正真正銘の漢族系の王朝であった明王朝の時代にもチベットは中国の一部であった。


元王朝の版図


明王朝の版図

このように歴史上、チベットは中国の一部になっていたわけであるが、ここで大きな争点となるのは清王朝が崩壊して中華民国が成立した後にチベットが独立したかどうかである。当然ながらそれについても検証していくこととしよう。

(第2章に続く)



第2章:中華民国時代もチベットは一貫して中国の一部であった


■中華民国時代もチベットは一貫して中国の一部であった

ここからは客観性を重視するため、チベット問題の第三者的立場にあった昔の日本で発行された世界地図および中国地図を用いることとする。各地図はクリックすることで拡大できる。

以下は1908年の日本の世界地図である。


1908年の日本の世界地図

1908年は清王朝が崩壊する直前の時期に当たるが、この時点では当然ながらチベットも新疆(しんきょう)もモンゴルも中国の一部である。

以下は1922年の日本の世界地図である。


1922年の日本の世界地図

清王朝が崩壊して中華民国が成立した1912年から10年が経過した1922年の時点でもチベットも新疆もモンゴルも中国の一部である。

ダライ集団によれば「チベットは1913年に中国から独立した」とのことだが、それから9年が経過した1922年になっても日本の世界地図上には「チベット」あるいは「西蔵」という名の独立国は存在しておらず、ダライ集団の言うところのチベット独立宣言とやらは全く実体の伴っていないものであったことがわかる。

この頃、チベットを独立国と認めていた国があるとすれば同じく1911年に独立したと自称する外モンゴルであるが、外モンゴルもこの時点では日本の世界地図で独立国と見做されてはいない。当時のチベットと外モンゴルは「独立国もどき」同士で「チベット・モンゴル相互承認条約」を結んだが、両地域とも肝心の国際社会からは独立国として承認されてはいなかったのである。

そしてその「チベット・モンゴル相互承認条約」すらもソビエト連邦の後ろ盾で1924年に社会主義国家モンゴル人民共和国が成立した後に破棄された。

また、英国がチベットとの間で調印した「シムラ条約」については後述する。

以下は1933年の日本の世界地図である。


1933年の日本の世界地図

1933年になると日本による中国侵略(満州事変)の結果1932年に誕生した傀儡国家の満州国が地図上に登場する。それでもこの中国を侵略していた頃の日本ですらチベットと新疆はおろか、外モンゴル(モンゴル人民共和国)すらも独立国とは見做していなかった。

以下は1942年の日本の世界地図である。


1942年の日本の世界地図

1942年は第二次世界大戦の最中で、外モンゴルが特別な地域として扱われてはいる(ただし国名が載っていないので完全な独立国として扱われていたかは疑問が残る)が、チベットと新疆は相変わらず全く独立国として扱われていない。当時の日本にとって中国は交戦中の完全な敵国であり、何の政治的配慮もする必要はなかったはずであるが、それでもチベットと新疆を独立国と見做すなどということは一切していなかった。

ちなみに以下は同年の日本の中国地図である。


1942年の日本の中国地図

この地図では日本の占領地が「親日地方」、新疆省(現在の新疆ウイグル自治区)などが「親ソ地方」、そして西蔵(チベット)が「親英地方」とされているのが非常に興味深い。また、蒙古(モンゴル)人民共和国の名前が黄緑色で塗られ半独立地域として扱われているが、西蔵と新疆省の名前は黒色で塗られているのでやはり独立国として扱われてはいなかったことがわかる。

後年の中国によるチベット平和解放は「政教一致の封建農奴制からの解放」と言われるほか「帝国主義からの解放」とも言われるが、その「帝国主義」とは大英帝国による「親英地方」チベットへの影響力のことである。

1914年、英国はチベットのダライ・ラマ政権との間で「シムラ条約」を調印した。これは清王朝末期以来、英領インド帝国の隣に位置するチベットへの侵略を続けていた英国がチベットに傀儡政権を設置するための条約であり、決してチベットを独立国とするものではない。いわば日本が中国東北部に傀儡国家の満州国を建設したのと同じく半植民地化を狙ったものであった。なお、中華民国はこの条約を認めていない。

要するに中国は第二次大戦後、チベットを侵略したのではなくこの英国の帝国主義を駆逐して国土を取り戻したのであり、もし近代以降にチベットを侵略した国があるのだとすればそれは中国ではなく英国なのである。英国は日本や米国などと並んでチベットをダシに中国をバッシングする者が多い国の一つであるが、その背景としてこのような歴史的経緯があるということを覚えておくと良いだろう。

そして以下は「帝国書院」から発売された1950年の日本の世界地図である。


1950年の日本の世界地図(帝国書院より)

これがダライ集団が「チベットが中国の侵略によって独立を失う」より1年前の時点と主張する1950年の日本の世界地図である。1946年には外モンゴル(モンゴル人民共和国)は国際社会から完全に独立国として承認されたが、チベットも新疆もやはりここまで国際社会から独立国として承認されることは一度たりともなかった。なお、中華人民共和国の成立は1949年である。

この他にも昔の欧米で発行されたアジア地図でもチベットと新疆は中国の一部とされている。次に掲載するのは1914年に米国・シカゴで発行されたアジア地図と1932年にドイツ・ライプツィヒで発行されたアジア地図である。


1914年に米国・シカゴで発行されたアジア地図


1932年にドイツ・ライプツィヒで発行されたアジア地図

当時の欧米列強のうち、米国とドイツは中国本土はともかく、英国やソ連のようにチベットや新疆やモンゴルにまで手を出すことはしなかった国であり、いわば日本と同じく当時はチベット問題の第三者的立場にあった国と言える。その米国とドイツで当時発行された地図でもチベットと新疆は中国の一部なのである。

もうこれではっきりしたであろう。ダライ集団の言う「チベットは1913年から1951年まで独立国であったが中国に侵略されて滅亡してしまった」なる話は完全な捏造であり、清王朝から中華民国、さらに中華人民共和国成立まで数百年間、一貫してチベットは中国の一部であったのである。

■独自の貨幣とパスポートは独立国の証か?

1959年のチベット民主改革以前のチベットに独自の貨幣とパスポートがあったことを以ってそれ以前のチベットを独立国であったとする主張がある。しかしそれだけでは独立国の証明としては不十分である。

現在の香港には「香港ドル」、マカオには「マカオパタカ」という中国本土の人民元とは異なる独自の貨幣があり、両地域にはそれぞれ独自のパスポートも存在しているが、決して独立国ではない。香港とマカオは中国本土とは別の政治体制が存在している地域であるが、あくまでも中国国内の特別行政区である。

同じく、旧チベットも清王朝や中華民国のもとで自治を行い独自の政治体制を保持していた地域である。その政治体制こそが後に中華人民共和国によって撤廃された悪しき政教一致の封建農奴制であった。ダライ集団が中国に要求している「香港やマカオのような高度な自治」なるものの正体とは中国によって政教一致の封建農奴制が撤廃される以前の状態に戻せという要求であり、ダライ集団が言うところの「人権」の観点に照らし合わせても到底容認できることではない。

旧チベットの独自の貨幣とパスポートはいわばチベット地方政府が数百年間保持してきた政教一致の封建農奴制およびそれを自治の名目で黙認してきた清王朝や中華民国によって生み出された副産物であり、独立国の証ではないのである。

そして最後は1951年に中国中央政府とチベット地方政府との間で調印された「チベット平和解放の方法に関する取り決め」(17条協定)についての解説をしてこの話を締めくくることとしよう。

(第3章に続く)



第3章:チベット平和解放と17条協定


■チベット平和解放の方法に関する取り決め(17条協定)

ここからはチベット平和解放およびそれに伴って調印された「チベット平和解放の方法に関する取り決め」(17条協定)について解説したい。

中国によるチベット平和解放は「侵略」ではなく「解放」である。しかしながらチベットが中華人民共和国成立以前からも一貫して中国の一部であったことはすでに立証した通りであるが、なぜ元々中国領だった地域を改めて「解放」する必要があったのかと言うと前述のように英国によって半植民地化されて「親英地方」とされたチベットから英国帝国主義を駆逐して国土を取り戻すためである。また、清王朝時代および中華民国時代のチベットの自治によって保持されてきた悪しき政教一致の封建農奴制を撤廃する意義もあった。

当時、中国中央政府は時のチベットの第二の指導者的地位にあったパンチェン・ラマ10世の要請でこのチベット平和解放を実施し、英国帝国主義をチベットから締め出した後、話し合いの上で1951年に「チベット平和解放の方法に関する取り決め」(17条協定)をチベット地方政府との間で調印した。

以下が17条協定の全文の日本語訳である。
中央人民政府とチベット地方政府のチベット平和解放の方法に関する取り決め

※画像クリックで拡大。


(「17カ条取り決め」と略称)

(1951年5月23日)

チベット民族は、中国国内の長い歴史を持つ民族の一つであり、その他の多くの民族と同じように、偉大な祖国の創造と発展の過程で、自らの栄えある責任を果たしてきた。しかし、ここ百余年来、帝国主義勢力が中国に侵入し、同時にチベット地区にも侵入して、さまざまな欺瞞と挑発を行った。国民党反動政府はチベット民族に対しては、以前の反動政府と同じように、その民族抑圧と民族離間の政策を引き続き実行して、チベット民族の内部に分裂をもたらし、団結を破壊した。他方、チベット地方政府は、帝国主義の欺瞞と挑発に反対せず、偉大な祖国に対し非愛国主義的な態度をとった。これらの状況によって、チベット民族とチベット人民は奴隷化と苦痛の深淵に陥った。

1949年、中国人民解放戦争は全国において基本的勝利をおさめ、各民族の共同の内部の敵――国民党反動政府を打倒し、各民族の共同の外部の敵――帝国主義侵略勢力を駆逐した。この基礎の上に、中華人民共和国と中央人民政府はその成立を宣言した。中央人民政府は、中国人民政治協商会議で採択された共同綱領に基づいて、中華人民共和国国内の各民族が一律に平等であり、団結と互助を実行し、帝国主義と各民族内部の人民の公敵に反対し、中華人民共和国を各民族の友愛、協力の大家庭にする、と宣言した。中華人民共和国と各民族の大家庭では、各少数民族が集まって住んでいる地区で民族区域自治を実行し、各少数民族はいずれも自らの言語文字を発展させ、その風俗習慣と信教信仰を保持または改革する自由があり、中央人民政府は、各少数民族がその政治、経済、文化教育の建設事業を発展させるのを援助する。そのときから、国内の各民族は、チベットと台湾地区を除いて、いずれも解放された。中央人民政府の統一的指導と各級人民政府の直接指導の下で、各少数民族はいずれも民族平等の権利を十分に享受し、民族区域自治を実行したかあるいは実行している。

帝国主義侵略勢力がチベットに与えた影響を順調に一掃し、中華人民共和国の領土と主権の統一を実現し、国家を防衛し、チベット民族とチベット人民を解放して、中華人民共和国の大家庭に復帰させ、国内のその他の民族と同様の民族平等の権利を享受し、その政治・経済・文化教育事業を発展させるため、中央人民政府は人民解放軍にチベット進駐を命じる際、チベット平和解放の方法に関する取り決めを結ぶため、代表を中央に派遣して交渉するようチベット地方政府に通知した。1951年4月下旬、チベット地方政府の全権代表が北京に到着した。中央人民政府はただちに全権代表を派遣して、チベット地方政府の全権代表と友好的な基礎の上に交渉を行った。交渉の結果、双方は本取り決めを結ぶことに同意し、その実行を保証した。

一、チベット人民は団結して、帝国主義侵略勢力をチベットから駆逐し、チベット人民は中華人民共和国の祖国大家庭に復帰する。

二、チベット地方政府は、人民解放軍がチベットに進駐し、国防を固めることに積極的に協力する。

三、中国人民政治協商会議共同綱領の民族政策に基づき、中央人民政府の統一的指導の下で、チベット人民は民族区域自治を実行する権利がある。

四、中央はチベットの現行政治制度を変更しない。ダライ・ラマの固有の地位と職権も変更しない。各級の官吏はこれまで通り勤務する。

五、パンチェン・オルドニの固有の地位と職権は、維持すべきである。

六、ダライ・ラマとパンチェン・オルドニの固有の地位と職権は、第13世ダライ・ラマと第9世パンチェン・オルドニが互いに睦まじくしていたときの地位と職権を指す。

七、中国人民政治協商会議共同綱領で定められた宗教信仰自由の政策を実行し、チベット人民の宗教信仰と風俗習慣を尊重し、ラマ寺院を保護する。中央は寺院の収入を変更しない。

八、チベットの軍隊は人民解放軍に逐次改編し、中華人民共和国の国防武装力の一部分となる。

九、チベットの実情に基づいて、チベット民族の言語、文字および学校教育を逐次発展させる。

十、チベットの実情に基づいて、チベットの農業、牧畜業、工業、商業を発展させ、人民生活を改善する。

十一、中央はチベットに関する諸改革を強制しない。チベット地方政府は自らすすんで改革を行うべきであり、人民が改革を要求した場合は、チベットの指導者と協議する方法でこれを解決しなければならない。

十二、これまで帝国主義、国民党に親しかった官吏は、帝国主義、国民党との関係から断固離脱し、破壊、抵抗さえしなければ、引き続き勤務することができ、過去のことは追及しない。

十三、チベットに進駐した人民解放軍は、前述の諸政策を遵守し、同時に公正に売買し、人民のものは針一本、糸一すじりも勝手にとってはならない。

十四、中央人民政府は、チベット地区のすべての渉外事務を統一的に処理し、また平等、互恵および領土、主権の相互尊重を踏まえて、隣邦と平和的に付き合い、公正な通商貿易関係を樹立し、発展させる。

十五、本取り決めの実行を保証するため、中央人民政府はチベットに軍政委員会と軍区司令部を設立し、中央人民政府の派遣した要員を除き、できるだけチベット地方の要員を仕事に参加させる。

軍政委員会に参加するチベット地方の要員には、チベット地方政府および各地区、各主要寺院の愛国分子を含まなければならず、中央人民政府の指定した代表と関係各方面が協議して名簿を提出し、中央人民政府に報告して任命する。

十六、軍政委員会、軍区司令部およびチベット進駐人民解放軍の必須経費は、中央人民政府が支給する。チベット地方政府は人民解放軍の糧秣その他の日用品の調達、運送に協力すべきである。

十七、本取り決めは署名、押印後直ちに発効する。

中央人民政府全権代表

首席代表
李維漢(署名押印)

代表
張経武(署名押印)
張国華(署名押印)
孫志遠(署名押印)

チベット地方政府全権代表

首席代表
アペイ・アワンジンメイ(署名押印)

代表
カイモ・ソアンワンドイ(署名押印)
トブタンダンダ(署名押印)
ドブデンリェメン(署名押印)
サンポ・デンゾンドンチュ(署名押印)

1951年5月23日北京にて
このようにチベット平和解放はチベット側の要請で行われ両者の合意を得た合法的なものであると同時に、17条協定の全文を読めば中国中央政府がチベットを尊重した善良なものであったことがわかる。ここで言う「帝国主義勢力」とは繰り返し説明してきたようにチベットにおける英国、新疆におけるソ連、そして中国本土における日本など列強諸国のことである。

この時点では、長らくチベットを支配してきた政教一致の封建農奴制の撤廃については話し合いの結果、チベットの独自性の尊重の一環として一旦留保され(第4条および第11条)、中国中央政府はチベットから英国帝国主義と国民党の影響力を排除することに専念したが、後に政教一致の封建農奴制の撤廃が再決定され1959年に実施されたチベット民主改革によってチベットは完全に解放された。

■ダライ・ラマ14世も17条協定に賛同していた

これに対し、ダライ集団は「中国側が武力で脅して強引に協定を調印させた」とか「印璽(いんじ)を偽造した」などと言い張りチベット平和解放の合法性を頑なに認めようとしないが、そもそも当時のダライ・ラマ14世本人が17条協定に賛同していた公文書が残っているのでそのような言い訳は成り立たない。
ダライラマ14世が毛沢東に送った電報が公開

※画像クリックで拡大。

中国国家档案局(資料局)は7日、中央档案館の所蔵する「ダライラマ14世が『取り決め』支持を表して毛沢東主席に送った電報」を公開した。ダライラマは電報の中で、「西蔵(チベット)平和的解放の方法に関する取り決め」への明確な支持を表明し、「毛主席と中央政府の指導のもとで」「祖国領土主権の統一を守る」ことへの意欲を示していた。(編集MA)

「人民網日本語版」2008年4月8日




中国国家文書局、ダライラマ14世の文書を公開

2008-04-08 14:25:55 cri

中国国家文書局は、7日、中央文書館に所蔵された「協定を支持するため、ダライラマ14世が毛沢東主席に送った電報」を公表しました。

1951年10月、ダライラマが当時の毛沢東主席宛に送った電報の中で、「友好を踏まえて、チベットの平和的開放の方法に関する協定に調印した。チベット地方政府、僧侶、住民は、一致してこれを支持すると共に、毛主席や中央人民政府の指導の下で、国防の強化のために、人民解放軍に積極的に協力していく。また、チベットにある帝国主義勢力を追い払い、祖国の領土や主権の統一を守っていく」と述べています。(翻訳 朱丹陽)




チベットの平和解放を侵入に言い換えるのが陰謀だ

2011-05-20 10:58:50 cri

チベット自治区政府のペーマツェーリン主席は19日北京で、「ダライラマ14世は歴史的事実を無視し、チベットの平和解放を人民解放軍によるチベットへの侵入といっている。これは歴史を完全に歪曲し、下心を持つものだ」と指摘しました。

国務院報道弁公室の記者会見で、ダライラマ集団が17条協定を迫られて調印したのだと言う言い方をどう見るかという記者の質問を受けて、チベット自治区政府のペーマツェーリン主席は「1950年、人民解放軍はチベットに入った後、ダライラマ14世はアペーアワンジーンメー氏を代表とする、当時のチベット政府代表団を北京に派遣し、交渉を行った。交渉期間中、代表団はダライラマと終始密接な連絡を取っていた。協定が調印された後、ダライラマは会議を開き、この協定を一致して擁護することを示した上、毛沢東主席に電報を送り、この協定がチベット地方政府および僧侶と民衆の完全な擁護と同意を受けたと述べた。こうして見ると、17条協定を強迫と恐喝を受けて調印したことはまったくなかったことが分かる」と述べました。ペーマツェーリン主席は「中央政府のダライラマに対する政策は明確なものだ。彼は祖国分裂の立場を放棄し、祖国分裂の活動を止め、チベットと台湾が中国の分割できない一部分であり、中華人民共和国政府が全中国を代表する唯一の合法政府であることを公に承認するという前提の下で、何でも交渉することができる。中央政府をダライラマとの接触と話し合いの扉はずっと開いている。大切なのは、彼がチベット独立の立場を真に放棄するかどうかということである」と述べました。(翻訳:董燕華)
以上のように中国のチベット平和解放は歴史的にも法的にも完全に正当な国土の統一であり、断じて違法な侵略行為ではないのである。

■チベット平和解放は事実上、西側諸国すら承認している

中国のチベット領有は西側諸国を含めた国際社会から公式に認められている。現在、世界各国が公式に用いている世界地図でも必ずチベットは中国の一部として区分されている。中国のチベット領有を認めていないのはダライ集団とチベット独立派、西側諸国の民間の反中勢力だけである。
インドのシン首相
「中国の西蔵(チベット)問題に対するインドの立場は一貫しており、ダライ・ラマがインドでいかなる政治活動を行うことも認めない。台湾問題では、『1つの中国』政策を堅持する」

英国のミリバンド外相
「公式にはチベットを中国の一部として認めてこなかった過去の英国外交は誤りだった。今でははっきりと中国の領有権を認めている」

ドイツのメルケル首相
「『一つの中国』原則を認め、チベット独立を支持しない」

フランス外務省のエリック・シュヴァリエ報道官
「フランスはチベットの独立を支持しない。私たちの立場は決して変わることはない。すなわち、中国の領土保全を支持し、分裂主義とチベット独立を支持しない」

ジョン・モリス米国務次官補
「ワシントンは西蔵(チベット)独立を支持しない。西蔵自治区は絶対に中国から切り離せない一部分だ」

インドのクリシュナ外相
「インドはチベットを中国の一部とみなしており、インドにおいて反中国的な活動を認めない。中国からの要請があればチベット問題についてインドはあらゆる支援を行う構えだ」

英国のキャメロン首相
「英国政府は長期にわたって実行してきた対中政策、および西蔵(チベット)関連問題への政策を変えることはない。即ち、英国は西蔵が中国の一部分であることを認め、西蔵独立を支持せず、中国の主権を尊重する」

オーストリア外務省のキカルト政治局長
「オーストリアは中国との友好協力関係を大変重視し、一つの中国の政策を堅持しており、チベットが中国の一部分であることを認めている。チベット独立を主張し中国の領土保全を損なういかなる分裂行為も支持しない」

米国のオバマ大統領
「チベットは中国の一部分であり、米国はチベットの独立は支持しない」
これらの見解はすなわち国際社会も事実上、公式に中国のチベット平和解放を承認しており、侵略行為とは見做していないことを意味している。ダライ集団が言うようにチベット平和解放が違法な侵略行為なら、なぜ西側諸国も含む世界各国が揃いも揃ってこのような見解を表明しているのかを説明できない。

また、現在は台湾に存在している中華民国ですらチベットの独立を認めていないので「中国共産党政権を打倒すればチベットは独立する」などと考えていたらそれは大きな間違いである。

中華民国(台湾)政府には「蒙蔵委員会」(モンゴル・チベット委員会、Mongolian & Tibetan Affairs Commission)という機関がある。これは名目上、チベットとモンゴルを統治する機関であり、中華民国政府が今以って公式にチベットとモンゴルを中華圏としている証拠の一つである。

蒙藏委員會
http://www.mtac.gov.tw/

そして中華民国憲法の第120条には「西蔵(チベット)の自治制度は、保障しなければならない」とある。これも同じく中華民国が公式にチベットを中華圏としている証拠の一つである。

よってこれから先、100年後もチベットは中国の一部であり続けるであろう。天と地がひっくり返りでもしない限り、あるいは中国という国が地球上から完全に消滅でもしない限り、チベットが独立することはあり得ない。

チベットは過去においても現在においても未来においても紛れもなく中国の一部なのである。



関連項目
  • 「チベット大虐殺」は反中勢力が捏造した嘘
  • 西側諸国も公式に認める中国のチベット領有
  • 写真で見る平和解放前と平和解放後のチベット
  • 河口慧海が記録した旧チベットの実態
  • 外国人が記録した旧チベットの実態
  • 平和解放後のチベットの社会・経済発展データ
  • 世界が評価した中国のチベット統治の真実
  • チベット族の人々が語る現在の豊かで幸せな暮らし



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