当ページではアイヌ民族について簡単に説明する。以下、アイヌ民族博物館の公式サイト内の削除されたページ「アイヌ民族の概要」(ページ1、ページ2)を復刻。
アイヌとは
長老
アイヌとは、「人間」を意味します。アイヌ民族は、「自分たちに役立つもの」あるいは「自分たちの力が及ばないもの」を神(カムイ)とみなし、日々の生活のなかで、祈り、さまざまな儀礼を行いました。
それらの神々には、火や水、風、雷といった自然神、クマ、キツネ、シマフクロウ、シャチといった動物神、トリカブト、キノコ、ヨモギといった植物神、舟、鍋といった物神、さらに家を守る神、山の神、湖の神などがあります。そういった神に対して人間のことを「アイヌ」と呼ぶのです。
起源
アイヌの人種所属については、かつて「コーカソイド(白人)説」「モンゴロイド説」「大洋州人種説」「古アジア民族説」そして「人種の孤島説」などが唱えられました。現在では「モンゴロイド説」が発展した一つの仮説として、次のような説があります。
古モンゴロイドには南方系と北方系の2つのタイプがあって、縄文時代前、いまから数万年前にそのうちの南方系のモンゴロイドが北に向かって移動を始め、長い年月の間にそれらが沖縄を含む日本列島に住みつき、全国的規模で縄文文化を担うようになります。やがて弥生〜古墳時代になると、北方系のモンゴロイドが大挙して渡来するようになり、これらの影響を強く受けて急進化してきたのが和人(アイヌ以外の人々)、ほとんど影響を受けずに小進化してきたのがアイヌと琉球人であるといわれています。
歴史
本州が紀元前300年ころ、弥生時代を迎え、室町時代にいたる間、北海道では、続縄文時代、擦文時代・オホーツク文化と土器文化の時代が続きました。アイヌ文化といわれる時代は1400年ころから1700年代前半までとされています。擦文文化がオホーツク文化の影響を受けながらアイヌ文化に移行したとする説もありますが、はっきりとはしていません。
長老(『蝦夷島奇観』)
1400年代半ごろから、北海道において南部の江差、松前を中心として和人勢力が強まり、それはやがてアイヌ民族への抑圧へと変わります。その抑圧に対して、アイヌ民族は、1457年のコシャマインの戦い、1669年のシャクシャインの戦い、1789年のクナシリ・メナシの戦いをもって抵抗しますが、いずれも敗退し、特にクナシリ・メナシの戦いで敗れた後は完全に和人の支配下に入り、抑圧・搾取されるままに明治を迎えます。
明治時代には、同化政策によりアイヌ民族としてのこれまでの生活慣習はすべて禁止され、「旧土人」として「日本人」の生活習慣を強制されるようになります。1899年に制定された「北海道旧土人保護法」はアイヌ民族の救済と農業授産を主目的とした法ではありますが、アイヌ民族を「旧土人」として位置づけ、いわゆる和人との「区別」を明確化しています。
明治後半になると、本州からの移住が増え、それにともなって、これまでのアイヌ民族に対する抑圧・搾取に代わって「差別」が生じ、それは現在でもなお続いており、大きな社会問題となっています。
大正時代の白老コタン(集落)
1946年に北海道静内町において全道アイヌ大会が開催され、「教育の高度化」「福利厚生施設の協同化」などを目的として、「社団法人北海道アイヌ協会」が設立されました。そして、1961年、同協会は「北海道ウタリ協会」と改称して、アイヌ民族に関わる諸問題に積極的な取り組みを見せています。なかでも、1984年には、現行の「北海道旧土人保護法」に代わる新しい法律「アイヌ新法」(仮称)制定を求めることを決め、以来、早期制定をめざしての活発な運動が展開されました。
神に祈る
さらに、アイヌ語の復興、伝統舞踊、各種儀礼などの独自の文化の伝承・保存活動も活発となり、全道各地にアイヌ語教室が開かれるとともに、古式舞踊保存会が組織され、またイヨマンテ、チプサンケといった儀礼が復活・実施されています。
このような動きを受けて、1997年4月、「北海道旧土人保護法」は廃止され、代わって「アイヌ文化の振興並びにアイヌの伝統等に関する知識の普及及び啓発に関する法律」が国会で成立しました。この法律は「アイヌ文化法」と略称されていますが、その名のとおり、「アイヌ新法案」が求めた社会的・経済的・文化的なさまざまな施策のうち、文化面での施策の充実を定めましたが、北海道ウタリ協会が強く求めていた先住権については、「付帯決議」として確認されたにとどまりました。アイヌの民族運動の目標はまだ実現途上であるといえます。
アイヌ民族関連年表(1853年以降)
出典:上村英明『知っていますか?アイヌ民族一問一答 新版』(解放出版社)のP78
1853年:日露国境策定交渉
1855年:日露和親条約。エトロフとウルップ島の間に国境が画定
1869年:開拓使を設置。「蝦夷地」を「北海道」へ改称
1871年:アイヌ習俗禁止
1875年:樺太・千島交換条約。千島列島が日本領、樺太がロシア領となる
1876年:樺太アイヌ強制移住
1877年:北海道地券発行条例制定
1878年:戸籍上のアイヌ呼称を「旧土人」に統一
1882年:開拓使廃止
1884年:千島アイヌ強制移住
1886年:北海道庁設置。北海道土地払下規則(和人1人10万坪払下)
1897年:北海道国有未開地処分法公布
1899年:北海道旧土人保護法公布
1905年:ポーツマス条約。ロシアが日本へサハリンの北緯50度以南を譲渡
1947年:北海道アイヌ協会、給与地の農地改革法適用除外を政府に要求
1951年:サンフランシスコ講和条約。日本は千島列島、南樺太の権利を放棄
1961年:北海道アイヌ協会、北海道ウタリ協会に改称
1964年:行政管理庁、北海道旧土人保護法廃止勧告
1970年:全道市長会、北海道旧土人保護法廃止を決議
1972年:北海道庁、第1回ウタリ生活実態調査実施
1974年:第1次北海道ウタリ福祉対策開始
1975年:東京都、第1回東京在住ウタリ実態調査実施
1984年:北海道ウタリ協会、北海道旧土人保護法の廃止とアイヌ新法の制定を決議。北海道、「ウタリ問題懇話会」を設置
1985年:チカップ・美恵子氏、肖像権裁判提訴(1988年和解)
1986年:中曽根首相「日本単一民族国家」発言
1988年:北海道旧土人保護法廃止とアイヌ新法制定を北海道知事、道議会、北海道ウタリ協会が国に要請
1991年:日本政府、アイヌを国連人権規約にもとづく「少数民族」と認める
1993年:国際先住民年。二風谷ダム裁判(原告・萱野茂氏、貝澤耕一氏)開始
1994年:萱野茂氏、参議院議員当選。国連、国際先住民族の10年開始(〜2004年)
1995年:日本政府、ウタリ対策のあり方に関する有識者懇談会設置
1997年:二風谷ダム裁判、札幌地裁で原告勝訴。アイヌ文化振興法公布、及び北海道旧土人保護法廃止
1999年:アイヌ共有財産裁判開始
2004年:知床世界遺産登録
2005年:国連、第2次国際先住民族の10年開始。アイヌ共有財産裁判、最高裁訴えを棄却
2007年:北海道、イヨマンテ禁止通達を1955年から52年ぶりに撤廃
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