河口慧海が記録した旧チベットの実態

河口慧海(1866 - 1945)
日本人としては初めてチベットを旅行した黄檗宗の僧侶である河口慧海(かわぐち えかい、1866 - 1945)の著書『チベット旅行記』(旧題:『西蔵旅行記』)に書かれた1904年頃の旧チベットの実態。
同書の序章には「チベットより仏教を除去せば、ただ荒廃せる国土と、蒙昧(もうまい)なる蛮人とあるのみ」と書かれている。中国中央政府による1951年の平和解放および1959年の民主改革以前の旧チベットは仏教以外には何も誇れるものがない未開の社会だったのである。旧チベットがいかに未開で野蛮で不潔な社会であったかは本ページに掲載した同書の第三者視点による数々の記述によって客観的に証明されている。
この河口によるチベット訪問(1904年頃)以降から平和解放(1951年)までの期間中にチベット地方政府が自力で近代化を成し遂げたとする信憑性のある一次ソースは一切ない(近代化を試みたが失敗に終わったという話ならあるが)し、河口のチベット訪問の約40年後にチベットを訪れた日本軍のスパイである西川一三(にしかわ かずみ、1918 - 2008)の著書にも河口の著書と同様の記述が多くなされているので、未開だったチベットを中国中央政府が近代化して発展させたことは疑いようのない歴史的事実である。
ちなみに河口は中国に対して何らの好意も利害関係も持たない人物であり、当時の日本では当たり前だったとは言え中国を「シナ」と呼んでいるので当然ながら「媚中左翼」などではない。当然ながら河口が書いた同書は中国がチベット問題の政治宣伝のために出版した本というわけでもない。同書はまぎれもない客観的な第三者による旧チベットの実態の記録である。
『チベット旅行記』の全文はこちら(魚拓)から無料で読むことができる(ただしとてつもなく長い)。同書は青空文庫に収録されている著作権切れの作品なので本ページを閲覧している皆様には転載や拡散も大歓迎である。是非、一人でも多くの人々にチベットの本当の歴史を知ってほしい。
日本軍のスパイである西川一三(にしかわ かずみ、1918 - 2008)らによる旧チベットの記録については「外国人が記録した旧チベットの実態」を参照のこと。
|
|