チベットおよびチベット族の人口推移

当ページでは各所に散在していたチベットおよびチベット族の人口統計を一ヶ所に集めてわかりやすくまとめた。この人口推移データを見れば、

反中勢力「中国政府に支配される以前のチベットは残虐な中国と違って素晴らしい国だった!」
→ かつて約800万人いた人口を約100万人にまで激減させた残虐な旧チベットのどこが素晴らしいんだ?対する中国政府はその人口を約300万人にまで倍増させているんだが?

反中勢力「中国政府はチベット人を120万人以上も大量虐殺して民族浄化している!」
→ それは何の証拠もない大嘘。もし120万人もの大量虐殺があれば確実に人口が減るはずだがチベットは中国政府の統治でむしろ人口が倍増している。

反中勢力「中国政府は多くのチベット人に強制断種・避妊手術を施している!」
→ それも何の証拠もない大嘘。もし多くのチベット人が強制断種・避妊手術を施されているなら子供が生まれないので人口が倍増したりなどしないはず。だが現実は逆。

反中勢力「チベットに漢族が大量に流入してチベット人が少数派に追い込まれている!」
→ それはどこの世界のチベットの話だ?現実のチベットは未だ人口の9割がチベット族なんだが?

反中勢力「中国政府はチベットの人口を倍増させたと言うがそれは単に漢族が大量に流入しただけだ!」
→ チベットでも中国全土でも“チベット族の”人口が倍増しているが何か?チベットにおける漢族人口はチベット全人口のうちの1割にも満たない。

反中勢力「中国政府はチベットを近代化したと言うがその恩恵を受けているのは漢族だけだ!」
→ “チベット族の”人口や平均寿命が倍増している以上、漢族だけでなくチベット族も近代化の恩恵を受けているのは明らか。

…といったように、反中勢力が壊れたレコードのごとく執拗に繰り返してきた定番文句の数々を客観的なデータに基づいて論破できてしまう。「チベットに漢族が大量に流入して…」が嘘であることについては「漢族によるチベットへの大量移住という嘘」に掲載した情報を見ても明らかなことである。

これらの人口統計は国勢調査によって出された数字であり信憑性は非常に高い。少なくともダライ集団が唱える「元々チベットの人口は600万人だったが中国政府の虐殺で四百数十万人にまで減ってしまった」などという何の根拠もない出鱈目な数字と与太話に比べれば100万倍は信憑性があるのは間違いない。

人口推移と並んで中国政府がチベットの人々を豊かにした証である平均寿命の推移については「チベットの平均寿命の推移」を、ウイグル族の人口推移については「ウイグル族の人口推移」を参照のこと。



目次
1. チベットおよびチベット族の人口推移まとめ
2. 『中国地図冊』(1992年版)に書かれたチベットの人口推移
3. チベットの人口 - 中国のチベット 事実と数字2005
4. 1964-2008年 チベット総人口とチベット族人口の変化
5. チベット学研究センター、「チベット族の人口は安定して増加」
6. チベット、常住人口が300万を上回る
7. 参考:中国の人口と平均寿命の推移
8. 補足:反中勢力も中国の人口調査を「追認」



チベットおよびチベット族の人口推移まとめ


チベットおよびチベット族の人口推移
チベットの総人口 チベットの
チベット族人口
中国全土の
チベット族人口
1737年 約800万人 *1 - - 歴代ダライ・ラマ時代。
1904年 約500万〜600万人 *2 - - 歴代ダライ・ラマ時代。
1935年 372万人 *1 - - 歴代ダライ・ラマ時代。
1951年 115万人 *3 *4 - - この時点まで歴代ダライ・ラマがチベットを直接統治し、凄まじい悪政によって人口が激減し続けた。同年、中国中央政府のチベット平和解放によって中央政府の庇護のもとでダライ・ラマ14世がチベットの自治を開始、人口減少が止まる。
1953年 127万5000人 *3 - 277万5000人 *5 第1回国勢調査。
1959年 119万人 *1 - - *6 この時点まで中国中央政府の庇護のもとでダライ・ラマ14世がチベットを自治。しかし、ダライら旧チベット支配層が中国からの独立を企てて武装反乱を起こし失敗、亡命。旧チベット支配層らが逃れた分だけ人口が減る。同年、中央政府のチベット民主改革によって政教一致の封建農奴制が撤廃されて中央政府による直接統治が始まり、近代化によってチベット族の人口が急速に増え始める。
1964年 125万1000人 *3 120万9000人 *3 - 第2回国勢調査。
1978年 174万人 *7 162万人 *7 - -
1982年 - - 387万人 *8 第3回国勢調査。
1984年 197万人 *7 188万人 *7 - -
1988年 212万3100人 *9 - - -
1990年 219万6000人 *3 209万6700人 *3 459万3000人 *10 第4回国勢調査。
1993年 229万人 *7 221万人 *7 - -
2000年 261万6300人 *3 241万1100人 *3 542万人 *9 第5回国勢調査。
2001年 254万人 *7 244万人 *7 - -
2003年 270万1700人 *3 - - -
2004年 273万6800人 *3 - - -
2005年 277万人 *9 - *11 - -
2006年 281万人 *9 - - -
2008年 287万人 *7 270万人 *7 - -
2010年 300万2166人 *12 - 628万2200人 *13 第6回国勢調査。
(1737年から1951年までの歴代ダライ・ラマ時代には一貫して人口が減少し、
対する1959年以降の中国政府統治時代には一貫してチベット族人口を含めて人口が増加した)
出典・脚注
*1:『中国地図冊』(中国地図出版社編制、新華書店北京発行所発行、1992年版)
*2:河口慧海『チベット旅行記』の「第百十八回 チベットの兵制」
*3:『チベットの人口』(中国のチベット 事実と数字2005)
*4:この時点の1951年までに実施されていた人口調査は旧態依然とした簡易なものであり大まかな人口しか把握できておらず、次点の1953年の人口と比べると1年に約6万2500人ずつ増えるという異常な人口増加ペースになっていることがわかるので、実際には1951年の人口は115万人よりも数万人多かったものと推定される。2年後の1953年には第1回国勢調査が実施され、そこからようやく正確性の高い人口統計が得られるようになった。
*5:易富賢『大国空巣:反思中国計画生育政策』(中国発展出版社)魚拓)。
*6:ダライ・ラマ14世のいわゆる「チベット亡命政府」は1959年時点の中国全土のチベット族人口を600万人と主張し、その根拠として「中国政府が当時そう発表していた」とうそぶいているがそのような事実は一切ないし、また人口600万人の典拠となる具体的なソース名も一切挙げていない。また、彼らは「1959年」の人口が600万人だと言ったり「1959年以前」の人口が600万人だと言ったり「現在」の人口が600万人だと言ったりまるで一貫性がないし、まさか発展著しい地域で50年以上もの間ぴったり600万人のまま人口が停滞していることなどあり得ないのでこの600万人という数字は全く信憑性のない出鱈目な数字と見て間違いない。
*7:『チベット総人口とチベット族人口の変化』(チャイナネット 2009年4月7日)
*8:中国語オンライン辞書魚拓)。
*9:横浜国立大学教育人間科学部教授・村田忠禧『チベット問題を考えるための資料』魚拓)。
*10:中央人民広播電台魚拓)。
*11:『チベット問題を考えるための資料』には2005年のチベットのチベット族人口は241万1100人と書かれているが、この数字は第5回国勢調査で判明した2000年のチベットのチベット族人口と完全に一致する不自然な数字である。よって2000年のデータが2005年のデータと誤認されて掲載されたものと判断して一覧から除外する。
*12:『チベット、常住人口が300万を上回る』(中国国際放送局 2011年5月5日)
*13:中国民族報 2012年7月5日魚拓)。




『中国地図冊』(1992年版)に書かれたチベットの人口推移


このセクションでは『中国地図冊』(中国地図出版社編制、新華書店北京発行所発行、1992年版)に書かれたチベットの人口推移について解説したい。

突然だが、嫌中ネトウヨの巣窟である2ch掲示板には以下のようなコピペがある。
昔中国国内で出版されていた16年前の地図帳買って持ってるんだけど

チベットの人口推移は
1737年 約800万人
1935年 372万人
1959年 119万人
(中国地図冊 中国地図出版社編制 新華書店北京発行所発行 1992年版より)
って書いてあるんですけどwwww
中共の虐殺すご過ぎ!

ちなみにチベットの人口推移は、この本の2008年度版には削除されてます。
このコピペにあるチベットの人口推移の数字自体は間違っていない。だがその後の、

> 中共の虐殺すご過ぎ!

…という解釈はとんでもない誤りである。

1737年は清朝の時代でありチベットは清国の間接統治下にあった。無論、中国共産党は結党されてすらいなかった。1935年は中国国民党政権下の中華民国の時代であり
チベットは中国の版図内にあったが、その一方で英国の半植民地支配下に置かれてもいた。当時、中国共産党は政権の座にはなかった。これらの期間中、チベットは一貫して中国の版図の内にあり続けはしたが、一方で実際の統治は歴代ダライ・ラマ政権に委任されており、20世紀に入っても政教一致の封建農奴制に支配され続けていた地域であった。

そして中国共産党によるチベットの直接統治が始まったのは1959年からである。1951年のチベット平和解放における「チベット平和解放の方法に関する取り決め」(17条協定)によりチベットは話し合いの上で英国の半植民地支配下から中国の一部へと完全に復帰し、以来数年間、1959年になるまで中国中央政府の庇護のもとでダライ・ラマ14世がチベットを自治していた。ところが1959年、ダライら旧チベット支配層が中国からの分離独立を画策して武装反乱を起こし、失敗して亡命したため、同年に中央政府によるチベット民主改革が実施されて政教一致の封建農奴制が完全に撤廃され、ここから中央政府のチベット直接統治が始まったのである。

つまり一言で要約すれば1737年から1959年までは中国中央政府ではなく歴代ダライ・ラマ政権がチベットを直接統治していた時代なのである。その時代に人口が激減しているということは、すなわち歴代ダライ・ラマ政権の統治が凄まじい悪政だったことの証左であり、中国中央政府の統治が悪政であることの証左ではないのである。

よってこのチベットの人口推移について何かコメントをしたければ、

> 中共の虐殺すご過ぎ!

…ではなく正しくは、

歴代ダライ・ラマ政権の虐殺すご過ぎ!

…と言うべきだろう(笑)。

こんな簡単なことも理解できずに歴代ダライ・ラマ政権下のチベットの人口減少を見て「中国政府による虐殺がひどい!」などとデマを飛ばしている嫌中ネトウヨは、例えるなら李朝時代の朝鮮の人口減少を見て「日帝による虐殺がひどい!」と言っているようなものである。

次に、

> ちなみにチベットの人口推移は、この本の2008年度版には削除されてます。

…についてだが、それは単に地理の勉強とは無関係な情報だから削除されたというだけのことである。決して「都合が悪いから削除された」というわけではない証拠として、本ページでまとめた「チベットおよびチベット族の人口推移まとめ」を見てほしい。

それによると2008年のチベットの総人口は287万人であり、そのうちチベット族の人口は270万人である。これは1959年のチベット人口119万人と比べて二倍以上に急増した人口であり、ここから歴代ダライ・ラマ政権の凄まじい悪政とは対照的に中国政府がチベットにおいて一貫して善政を敷いてきたことが読み取れる。

つまり、もしも『中国地図冊』の2008年度版に近年のチベット人口が載っていたら、困ることになるのはチベット問題で中国を叩きたい嫌中ネトウヨのほうなのである。なぜなら「中国政府はチベット人を虐殺しまくっている!」という嫌中妄想とは全く正反対の、中国政府がチベットに善政を敷いて発展・繁栄させているという厳しい現実を突きつけられることになるのだから。

まったく、物事を都合のいいようにしか考えない嫌中ネトウヨの幸せ回路の凄まじさにはつくづく恐れ入る。しかも誰一人としてこのコピペの解釈の間違いに気が付かずに拡散しているのだから、嫌中ネトウヨどもの頭の悪さはもはや治療の施しようがないレベルだ。

いや、それ以前に歴代ダライ・ラマ時代である1737年から1959年までのチベットの人口減少を見て「中国政府による虐殺がひどい!」などと言えてしまうのは、明らかにチベットの歴史すらろくに知らずにチベット問題に口出ししていることの動かぬ証拠である。このように嫌中ネトウヨはそもそも歴史自体を知らないのだから、歴史を直視することができないのも無理はない。

ところで普段、中国の言うことなら何でも頭ごなしに捏造扱いする嫌中ネトウヨですらこのチベットの人口推移を事実と認めているということは、この人口統計の信憑性は非常に高いと考えていいだろう(皮肉)。嫌中ネトウヨはこの人口統計で中国政府の残虐性(笑)を証明するつもりが、逆に皮肉にも自らが支持するダライ・ラマ政権の残虐性を証明し自爆してしまったというわけである。

チベットにおいて、凄まじい悪政により約800万人もいた人口を約100万人にまで激減させたのが歴代ダライ・ラマ政権であり、打って変わって素晴らしい善政により約100万人しかいなかった人口を約300万人にまで倍増させたのが中国政府。これがチベットの歴史の真実である。



チベットの人口 - 中国のチベット 事実と数字2005


記事の魚拓

チベット自治区は中国で人口が最も少なく、人口密度が最も小さい省である。2004年の人口総数は273万6800人で、2003年より3万5100人増えた。

チベットでは、僧尼が結婚と出産ができず、生産に携わる必要もないため、チベットの人口は7世紀から清代(1644〜1911年)にかけて800万減少し、清代から1950年にかけてさらに80万前後減少した。

1951年の平和解放から現在までは、チベットのチベット族人口が過去一千年のうち最も速く増えた期間である。1970年から、チベット自治区の人口出生率、自然増加率はともに全国の平均水準を上回っている。人口の健康レベルも速やかに向上し、平均予期寿命は1951年の平和解放前の35.5歳から現在の67歳に伸びた。

チベット人口の変化
時間 チベットの人口総数
1951年の平和解放の時 115万人 人口死亡率は28‰、嬰児死亡率は430‰。
1953年の国勢調査の時 127万5000人 チベットとチャムド地区は国勢調査を直接行っておらず、データは当時ダライが指導したチベット地方政府が見積もって中央政府に報告したものである。
1964年の第2回国勢調査の時 125万1000人 チベット族の人口は人口総数の94.4%を占める120万9000人。
1990年の第4回国勢調査の時 219万6000人 1950年より119万6000人増えた。
2000年の第5回国勢調査の時 261万6300人
(外来人口を含んでいるが、転出人口を含んでいない)
チベット族の人口は241万1100人で、人口総数の92.2%を占め、漢族人口は15万5300人、人口総数の5.9%を占め、その他の少数民族の人口は4万9900人、人口総数の1.9%を占めた。そのうち、チベット族の人口は1990年の第4回国勢調査の時より31万4400人増え、15%伸びた。
2004年 年末の人口総数は
273万6800人
2003年より3万5100人増え、人口出生率は17.4‰、死亡率は6.2‰、人口自然増加率は11.2‰。平和解放以降の半世紀余りの間に、チベットのチベット族人口は倍増し、嬰児死亡率は1959年以前の43%から3.1%に下がり、人口の平均寿命は35.5歳から67歳に延びた。



1964-2008年 チベット総人口とチベット族人口の変化


記事の魚拓

  • チベットの総人口 ・・・ 125万人(1964年) → 287万人(2008年)
  • チベットのチベット族人口 ・・・ 121万人(1964年) → 270万人(2008年)
  • チベット総人口に占めるチベット族の割合 ・・・ 96.8%(1964年) → 94.89%(2007年)


  • 1964-2008年 チベット総人口(右)とチベット族人口の変化(単位:万人)


    1964-2007年 チベット総人口に占めるチベット族の割合の変化

    (データは『チベット統計年鑑』と『中国統計年鑑』に基づいて整理)

    「チャイナネット」2009年4月7日



    チベット学研究センター、「チベット族の人口は安定して増加」


    記事の魚拓

    2009-03-30 16:47:01 cri

    中国チベット学研究センターは30日、『チベット経済社会発展報告』を発表し、一部の国外のNGOと個人が指摘している「チベットの漢族が大量に流入しつつあるため、チベット族が文字通りの少数民族になりつつある」という意見に対し、「この結論は根拠がないものだ」と反論しています。

    報告では、「チベットの平和的な解放から2008年まで、チベットの総人口は1959年の120万人から2008年に280万人に増加した。また、チベットにおけるチベット族の人口は100万人から、2008年に270万人に増えた。中国で展開されてきた一人っ子政策もチベットの農牧地域で実施されなかった。改革開放以降、多くの出稼ぎ労働者がチベットに入ってきたが、チベット族が自治区の総人口に占める割合は依然として、90%以上を保っている」としています。

    (翻訳:洋 チェック:安藤)



    チベット、常住人口が300万を上回る


    記事の魚拓

    2011-05-05 11:58:59 cri

    チベット自治区統計局がこのほど発表した第6回全国国勢調査のデータによりますと、チベットの常住人口は300万2166人に達し、そのうちチベット族と他の少数民族が91.83%を占めているということです。

    2000年の第5回全国国勢調査のデータと比べると、この10年間でチベットの常住人口は38万5000人増加しました。

    また、統計データによりますと、10年間でチベット住民の教育レベルも大幅に上がり、大学を卒業した人は、2000年の10万人あたり1282人から5507人に増加したということです。(翻訳:路)



    参考:中国の人口と平均寿命の推移


    国連の統計バックアップ)にある中国の人口と平均寿命の推移。

    中国の人口と平均寿命の推移(国連統計)
    中国の人口 中国の平均寿命
    1950年 5億5476万0000人 40.8歳
    1975年 9億2780万7600人 65.3歳
    2000年 12億7513万2900人 71.2歳

    表を見ればわかるように、1950年から1975年までに中国の人口は5億5476万0000人から9億2780万7600人に、平均寿命は40.8歳から65.3歳に急増している。

    ここからわかるのは、反中勢力が唱える「中国は1950年代の大躍進政策と1960〜70年代の文化大革命で合わせて数千万人(最大8000万人)もの自国民を大量虐殺した」なる言説は全くの嘘であり、死者はわずかな数に過ぎなかったということである。

    もし人為的に数千万人も死亡しているのなら、同じく数千万人が大量虐殺されたとされるヨーロッパ人による南北アメリカ大陸の侵略と植民地化で先住民族人口が激減したのと同様に人口が減っていなければ不自然であるし、そのように死亡率の高い社会では平均寿命も延びるはずがない。そもそも大躍進政策と文化大革命の死者数を数千万人とするトンデモ説は反中勢力の間でも唱える者によって1000万単位で死者数のバラつきがある上、まともな根拠と言えるものは何もない。

    大躍進政策と文化大革命は中華人民共和国建国の父・毛沢東の最大の過ちであったが、少なくとも反中勢力が唱えるような常軌を逸した大量虐殺ではないのである。

    ちなみにチベットの平均寿命の推移についてはこちら



    補足:反中勢力も中国の人口調査を「追認」


    ここで当ページの内容に「チベット族の人口推移とやらは中国政府のプロパガンダであり信用できない」などと難癖を付ける者が現れることを想定し、あらかじめそれに反論しておく。

    中国政府が発表するチベットの人口や平均寿命をはじめとする数々の数字の多くは国勢調査によって出た数字である。国勢調査とは国の正確な社会状況を調査して把握するためのものであり、国が様々な政策を実行する際の参考にするためにその数字には嘘偽りのない正確なものが要求される。だからもしプロパガンダをすることだけを目的に間違った数字をでっち上げたりすれば本末転倒なことになるので、やはり中国の国勢調査によって出た数字は信憑性のある正しいデータであると考えて間違いはないのである。

    そしてその中国政府が発表したチベット族の人口調査は反中勢力ですら「追認」している。まず、次に掲載する「チベット族とウイグル族の主な居住地域」という画像は嫌中ネトウヨのブログなどでチベット問題や新疆問題を論ずる際に多用される画像である。

    この画像の元々の出所は今となっては確認不可能であるが、見たところ恐らく2008年の北京オリンピックの頃に日本のネットニュースサイトが作成して記事に添付していた画像資料と思われる。

    この画像には2000年のチベット自治区のチベット族人口は241万人であると書かれているが、これは当サイトがまとめた「チベットおよびチベット族の人口推移」の表にある2000年第5回国勢調査時のチベットのチベット族人口241万1100人と一致する数字である。ここからこの画像に載っている数字の出典である「00年人口統計」とは中国の国勢調査であることがわかる。

    つまりこの画像が嫌中ネトウヨのブログなどで多用されているということは、事実上、嫌中ネトウヨたちですら中国の人口調査を正しいものであると「追認」しているのである。

    同じく、ダライ集団と日本の右翼言論人である櫻井よしこはそれぞれ「中国政府の虐殺のせいでチベット人の人口がこんなに減ってしまった」という誤った主張をする文脈で中国の人口調査を持ち出して使用している。

    2009年9月5日にダライ集団は「1959年に600万人だったチベット高原全土のチベット民族の人口が1990年代の中国のデータによれば490万6500人にまで減少した。これは中国政府のチベット120万人大虐殺で人口が減少した結果である」という旨の次のような発言をした。
    1990年と1995年の間に発行された中国の出版物のデータによると、チベット高原全土におけるチベット民族人口は490万6500人しかでないとされていて、これらの数字は混乱に満ちている。1959年から1990年代にかけてチベット民族の人口が100万人も減少したのは、この間に死亡した120万人と亡命した10万人のチベット人を数えた結果であると仮定して間違いないだろう。
    同様に、2014年7月19日に櫻井よしこは「1959年に600万人だった中国国内のチベット人の人口が1982年の中国の人口調査によれば387万人にまで減少した。つまり中国政府のチベット大虐殺でチベット人の人口の約3分の1が殺されたのである」という旨の次のような発言をした。
    82年の中国政府の人口調査は、当時の中国国内のチベット人総人口を387万人余としており、総人口の約3分の1が殺されたことになる。
    これらの際に事実上、彼らは中国の人口調査を正しいものであると「追認」しているのである。

    ここでこれらの話の種明かしをしよう。ダライ集団の言う「1990年代のチベット人の人口は490万6500人」というのは「チベットおよびチベット族の人口推移」の表にある1990年第4回国勢調査時の中国全土のチベット族人口459万3000人の数年後の人口のことであり、櫻井よしこの言う「1982年のチベット人の人口は387万人」というのは同じ表にある1982年第3回国勢調査時の中国全土のチベット族人口387万人のことである。

    そしてダライ集団や櫻井よしこの言う「1959年のチベット人の人口は600万人」というのはダライ集団が長年唱え続けている根拠のない出鱈目な数字である。ダライ集団はこの600万人という数字の根拠として「中国政府が当時そう発表していた」とうそぶいているがそのような事実は一切ないし、また人口600万人の典拠となる具体的なソース名も一切挙げていない。
    1959年の中国政府によれば、チベットの人口は600万人以上で、その内130万人はチベット自治区(TAR)に居住していて、ほぼ500万人はチベット自治区外のチベット人地区に居住していたという。さらに1988の北京レビュー誌によれば、チベット民族全人口は600万人で、その内200万人はチベット自治区に居住しており、400万人はチベット自治区外のチベット人地区に居住していたという。
    この発言ではダライ集団は1988年のチベット族人口も同じく600万人とし、その典拠を「北京レビュー誌」であるとしているが、具体的に何月何日に出版された号に載っていた情報なのかもはっきりと明言していない以上、単なる出任せを言っていると疑われても仕方がないし、もしこの600万人という数字が本当に1959年、あるいは1988年当時の中国政府が発表していた数字だと言うなら、それを主張する側であるダライ集団が改めてその確固たる証拠を出さなければならない。

    ちなみに中国の1953年第1回国勢調査によれば当時の中国全土のチベット族人口は277万5000人であり、1982年第3回国勢調査によれば当時の中国全土のチベット族人口は387万人なので、それらを考慮すればそれぞれ前回の国勢調査からわずか6年しか経過していない1959年や1988年に中国政府が中国全土のチベット族人口を数年前と全く異なる数字の600万人であると発表するとは考えにくい。

    要は実際の中国全土のチベット族人口は元々600万人だったのが減少して後年に387万人や490万6500人になったのではなく、元々277万5000人だったのが増加して後年に387万人や490万6500人になったのである。

    また、もし100万歩譲ってダライ集団と櫻井よしこ両方の言い分を認めるならばそれでも1982年に387万人だったチベット族人口が1990年代には490万6500人に増加した、つまり中国政府の統治のおかげでチベット族の人口が大幅に増加したことを認めることになり、どちらにせよダライ集団と櫻井よしこの主張はろくな整合性もない荒唐無稽な代物である。

    とにかく要点は中国の国勢調査による人口統計は、中国の敵対勢力であるダライ集団や右翼日本人ですら自ら進んで認めている確かな信憑性のあるデータであるということである。彼ら反中勢力は「1959年のチベット人の人口は600万人」という虚構の数字ただ一つを除き、チベットについて論ずる際に使う数字は彼らが敵視する中国政府が発表する統計にわざわざ頼らざるを得ないほどに何の数字も出せないのが現状なのである。そんな人々が主張する「120万人大虐殺」という数字に果たして信憑性のかけらもあるものなのか。答えはノーである。



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