写真で見る平和解放前と平和解放後のチベット


中国中央政府による平和解放前のチベット(左)と平和解放後のチベット(右)。 ※画像クリックで拡大。

中国中央政府による1951年の平和解放および1959年の民主改革の以前と以後のチベットがそれぞれどのような社会であるかをはっきりと示す写真資料集。

これらの写真資料を見れば、チベットの人々は誰に統治されている時代が本当に幸せなのか、チベットの人々を本当に「弾圧」しているのはダライ集団と中国政府のどちらなのかは一目瞭然である。

平和解放後のチベットの社会・経済発展データ」もあわせて読まれることをおすすめする。



目次
1. 政教一致の封建農奴制下にあった平和解放前のチベット
2. 中国政府によって近代化された平和解放後のチベット



政教一致の封建農奴制下にあった平和解放前のチベット


ダライ集団やチベット独立派が世界に誇る旧チベットの誇らしい歴史。

旧チベットは13世紀以来、政教一致の封建農奴制が支配する暗黒の社会であった。その社会では人々の身分が3等9級のカーストに分けられ、人口の5%に満たない官僚や貴族、寺院の上層僧侶らが農奴主として、人口の95%以上を占める農奴の上に君臨して神権政治による独裁を行っていた。農奴主は農奴を奴隷どころか道具として支配し、思いのままに売買・贈与し、そして命を奪うことができた。

農奴たちは不潔でひもじい環境の中、毎日、一日中、過酷な重労働を課され続け、やっと得たわずかな労働収穫の大半も様々な重租税により農奴主に徹底的に搾取された。農奴主に従わない者や反抗する者は眼球抉りや鼻削ぎ、耳削ぎ、爪剥がし、四肢切断、皮剥ぎなどの残虐な刑罰により罰せられた。

旧チベット社会は経済や文化の発展が停滞し、疫病が流行し、
平均寿命も短く、文盲率は人口の95%を超え、農奴たちはほぼ全員が読み書きすらままならなかった。

旧チベット社会が極めて劣悪な環境にあったことは20世紀初頭にチベットを訪れた日本人僧侶の河口慧海も第三者として目にして記録している歴史的事実であり、疑いの余地はない。河口も実際に見た旧チベットの様子を自身の著書にボロクソに記述している。

河口の記録によれば旧チベット社会の実態とは、

  • 貴族階級が人々を生殺与奪する権利を握り、重税を課して搾取支配する封建奴隷制社会だった。
  • 爪を剥がす、棒で数百回叩いて出血させる、眼球をくりぬく、手首を切断する、耳や鼻を剃り落とす、生きたまま皮袋に入れて水に沈めて殺すなどの残虐な刑罰と拷問がまかり通っていた。
  • 僧侶でない人々はまともに教育を受けることすらできなかった。
  • ラマ僧の悪魔払いで病気が治るというカルト的な迷信が信じられており、まともな治療を施さずに患者が死んでもお構いなしだった。
  • 英国植民地だった同時代のインドと比べても近代化が遅れており、欧米植民地よりもひどい社会だった。
  • 人々は「五百人居れば四百五十人までは確かに屑」と言われるほどに極めて怠惰だった。
  • 「人殺さねば食を得ず」という諺(ことわざ)があるほど貧しい社会だった。
  • ラサ府は糞尿にまみれた不潔の都だった。
  • 上から下まで人々は大便をしても尻を拭わず、犬に人糞を喰わせていた。
  • 高等ラマ僧の糞尿を薬と称して人々に喰わせるカルト行為がまかり通っていた。
  • 僧侶は葬儀の際に人間の死体の切れ端を麦焦しに混ぜて喰っていた。
  • 人々は体中が垢で真っ黒で、垢を麦焦しに混ぜて喰っていた。
  • 人々の間では垢にまみれていればいるほど福徳と信じられていた。
  • 景色を楽しむという文化すらなかった。
…とのことである(→「河口慧海が記録した旧チベットの実態」)。

このような環境下にあった歴代ダライ・ラマ時代の旧チベットでは、1737年には約800万人いた人口が中国中央政府による平和解放時点の1951年にはその実に1/7の115万人にまで激減していた。この驚くべき数字は歴代ダライ・ラマの数百年におよぶ統治がいかに凄まじい悪政だったのかを物語っている。

チベットを版図に組み入れ長らく歴代ダライ・ラマに統治を委任していた中国歴代王朝も、19世紀末以降にチベットに干渉して20世紀初頭には半植民地化を行った英国も、旧チベットのこのような残酷な社会状況を改善することはせず、農奴たちが奴隷としての支配から解放されて人間として扱われるのは中華人民共和国建国後まで待たなければならなかった。

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■旧チベットの悲惨な暮らし

ラサの貧民窟と物乞いの人々 不潔で悪臭に満ちた貧民街 ラサの貧民窟の一角

乞食になった牧畜民の暮らし 農奴が住んだボロボロの家 破れたテントに住む農奴の一家

テント住まいの家族 農奴のボロ屋での悲惨な生活 洞穴で暮らす農奴

粗末な食べ物を口にして飢えをしのぐ人々 農奴たちの悲惨な生活 病にかかって道端に寝そべる物乞いの農奴

物乞いをする人々 羊毛を編んで生計を立てる人々 塩の入った袋を縫い合わせる遊牧民

■旧チベットの政教一致の封建農奴制

無給労働でポタラ宮まで荷物を運ばされる農奴たち 鎖に繋がれて働く農奴 原始的な農具しか使えなかった農奴たち

役人を背負って山を越える農奴 重荷に耐えられない農奴 めった打ちにされて不具になった僧侶

足かせをはめられた農奴 農奴の足にはめられた足かせ 首かせをはめられた僧侶

ラサの受刑者たち 右手を切り落とされた牧畜民 切り落とされて乾ききった左腕を持って物乞いをする農奴

足を切り落とされたアムドの牧畜民 農奴主に両目を掘られた農奴 両目をくりぬかれた農奴たち

両目を潰された農奴(左)、刑罰用の鞭(右上)、指を挟む刑罰道具(右下) 封建農奴制下で殺された人々の遺骨 白骨化した僧侶の遺体

農奴主が剥いだ農奴の皮 農奴主が剥いだ人の皮 農奴主が剥いだ子供の皮

■旧チベットで虐げられていた女性と子供と老人

着る物もなく飢えと病に苦しむ農奴の子供 飢えと病に苦しむラサの物乞いの老人 ボロボロの衣服を着用し飢えに苦しむ女性と子供

就学率が2%にも満たなかった旧チベットの子供たち 物乞いの女性と子供 街頭で野宿していた子供たち

着る物すらなかったラサの牧畜民の子供たち ラサの貧しい子供 飢えて絶望の眼差しを浮かべる老人

ラサの貧しい暮らしの女性 甲状腺腫を持ったラサの女性 乞食の子供たち

■動画で見る平和解放前のチベット

チベット農奴の悲惨な暮らし 旧チベット社会の労働階級

■平和解放前のチベットに関する公文書資料

中国のチベット平和解放は侵略ではない 旧チベットにおけるダライ・ラマの猟奇的仏事の命令書



中国政府によって近代化された平和解放後のチベット


13世紀以来の政教一致の封建農奴制と20世紀初頭以来の英国による半植民地支配によって何重にも苦しめられていたチベットの人々を、1951年の平和解放による英国の帝国主義の駆逐、および1959年の民主改革による封建農奴制の完全撤廃によって文字通り解放したのが、革命後間もない中国中央政府であった。人民共和国建国後の中央政府の英断によりチベットは中国に復帰し、ついに数百年におよぶ旧チベットの暗黒の時代に終止符が打たれることとなった。

以後、中央政府の統治によりチベットの政教一致の封建農奴制が完全に撤廃されたのみならず、各種の野蛮な風習が禁止され、各種のインフラが整備されて近代化が進み、医療衛生状況が大幅に改善され、近現代的な教育が普及し、チベットの人々の生活水準が飛躍的に向上して人口や平均寿命が倍増し、チベットは史上最も繁栄を謳歌する時代を迎えたのである(→「
平和解放後のチベットの社会・経済発展データ」)。

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現在のラサの様子 ラサの夜景 ポタラ宮から望むラサ

ポタラ宮前の大通り ポタラ宮付近の綺麗に整備された道路 ラサの街並み

チベット大学 チベット自治区人民医院 チベットの水力発電所

近年話題の青蔵鉄道(青海チベット鉄道) ラサ駅 ラサ・クンガ空港

現在のチベットの典型的な住宅 チベット銀行 チベット図書館

チベットの文物を保存するチベット博物館 保護されているチベット族の伝統文化 羌塘(チャンタン)の競馬祭

ラサの自然保護区 チベットと青海省を繋ぐ青蔵公路 現在のチベットでは満18歳以上の全ての公民に選挙権と被選挙権が与えられており政治参加ができる

チベットの医療教育 コンピューターを用いたチベットの高度な学校教育 チベット語の教科書で学ぶチベット族の小学生たち

■中国政府がチベット語を禁止せずに保護と普及を図っている証拠

西蔵日報という新聞のチベット語版 中国国営メディア人民日報にもチベット語版 中国人民元の紙幣にチベット語併記

チベット語の小学校用教科書 チベット語の教科書で学ぶチベット族の小学生たち チベット語の電子辞書

駅にもチベット語併記 駅の電光掲示板にもチベット語併記 駅のホームにもチベット語併記

どの店の看板にもチベット語併記 道路標識にもチベット語併記 学校でもチベット語併記



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