ダライ・ラマ派とオウム真理教の関係

ダライ・ラマ14世は、あの地下鉄サリン事件を起こしたカルトテロリスト集団であるオウム真理教の教祖・麻原彰晃の師であった。オウム真理教の教義や教則などもその多くがダライを由来としているものであり、それだけダライは麻原およびオウム真理教に多大な影響を与えていた人物なのである。

ダライ・ラマ14世の存在があったからこそカルトテロリスト集団のオウム真理教がこの世に誕生し、地下鉄サリン事件その他の凶悪事件もこの世で発生し得たと言っても過言ではない。そのような凶悪なカルト宗教を生み出すことに一役買った悪魔のような坊主が率いる「亡命集団」がもしもチベットの独立国家を建国などしようものなら、一体どのようなおぞましい政教一致国家が誕生するのか、想像するのも恐ろしい話である。



目次
1. ダライ・ラマ14世と麻原彰晃のツーショット写真
2. オウム真理教の麻原彰晃とダライの関係
3. ダライ・ラマの称賛を“金で買った” 上祐氏が古巣・オウムに爆弾
4. ペマ・ギャルポとオウム真理教の関係
5. 動画:ダライ・ラマ14世とオウム真理教の麻原彰晃の関係



ダライ・ラマ14世と麻原彰晃のツーショット写真


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平和と友好のきずな - 麻原彰晃尊師とダライ・ラマ法王の親交
海を越え、届けられる真理教信徒の善意と布施




オウム真理教の麻原彰晃とダライの関係


記事の魚拓

▽オウム真理教の麻原彰晃とダライの関係

オウム真理教の起こした一連の凶悪事件は世界に衝撃を与えた。1995年3月、日本の地下鉄で起こったサリン事件では12人が死亡し、5千人余りが負傷した。2004年2月27日、東京地方裁判所は13の罪名で教祖の麻原彰晃に死刑を言い渡した。2006年9月、最高裁の抗告棄却によって死刑が確定した。

地下鉄サリン事件の発生後、平和を愛する世界中の人々が怒りの矛先を麻原彰晃とオウム真理教に向けていた頃、ダライは共同通信を通じて、「オウム真理教は仏教の教義を広める宗教であり、麻原彰晃は自らの友人である」との意見を発表し、大きな反響を呼んだ。ダライはなぜこのような意見を発表したのか。それは、麻原彰晃という邪教の指導者が実のところダライの「生徒」だったからだ。ダライのこのような汚れた過去に対し、良心を失ったメディアは見て見ぬふりをし、二人の関係をなかったもののようにしている。

ダライはこれまで12回にわたって日本を訪れている。1984年の訪問では当時29歳の麻原と会ったという情報もある。麻原は1986年、インドを訪れた後にオウム真理教を正式に設立。翌1987年、麻原は再びインドを訪れ、ダライと会っている。この時、ダライは麻原に対し、「親愛なる友人よ、日本の仏教はすでに退廃してしまった。このまま行けば、仏教は日本で消えてしまうだろう。あなたは故郷で本当の仏教を伝えなければならない。仏の境地を知るあなたは最良の人選だ。あなたが日本で布教することを私はとても嬉しい。そうすることは私の仕事を助けることでもある」との内容の発言を行った。この会見時、ダライは麻原に祝福を与え、「師弟関係」を結んだといわれる。

ダライは自らの「生徒」の働きにとても満足していた。1995年の事件が発生するまでの8年間、二人は5回にわたって顔を合わせ、手紙のやりとりをしばしば行っていた。1989年、麻原は10万ドルをダライに寄付し、ダライは証書と推薦状をもってこれに返答した。ダライは東京の関連部門にあてた推薦状の中で、「麻原彰晃は能力のある宗教的指導者であり、オウム真理教は大乗仏教を広め公共の善を促す宗教だ」とし、「オウム真理教への免税を許可するべきだ」とまで書いている。オウム真理教はこの証明書と推薦状によって、日本政府が正式に承認する宗教団体となった。その後、大量の資金を蓄積してサリンの研究と生産を行ったのは周知の通りだ。

麻原は日本で合法的な地位を得た後、ダライに感謝状を送り、「私たちの希望はチベットができるだけ早くチベット人の手に帰ることです。私たちはそのためにできるだけの援助をしていきます」と述べている。麻原はダライの指示を受け、チベット地域に2回にわたってもぐりこみ、「布教活動」を行っている。麻原はダライが自らの指導者であることを正式に認めている。オウム真理教の教義や教則なども多くがダライを由来とするものだ。

ドイツの週刊誌「フォーカス」は、「ダライの支援がなければ、麻原彰晃が自らの宗教帝国を作ることは不可能だった。ただの治療師であり詐欺師でしかなかった麻原が数年の短期間であっという間に大教団の教祖となるのも、ダライの支援がなければこれほど簡単ではなかったはずだ」と指摘している。ダライが麻原をこれほど重用したのは、麻原からの金銭支援をあてにしていたためだけではなく、麻原を通じて日本の仏教を改革したいと考えていたためだ。ダライが麻原と結託したのは、「チベット独立」を支援する弟子たちを日本に増やしたかったからにほかならない。ダライのこの勝手な計算は邪教の崩壊という結果に終わった。自己の信徒の生命を損なう邪教が目立つ中で、ダライの高弟である麻原彰晃が作り出したオウム真理教は、教団外の罪のない人々をテロ攻撃する教団として、人々に大きな衝撃を与えた。(「鳳凰週刊」よりダイジェスト、編集MA)

「人民網日本語版」2008年12月25日



ダライ・ラマの称賛を“金で買った” 上祐氏が古巣・オウムに爆弾


記事の魚拓

2015年01月21日 08時00分

オウム真理教元信者高橋克也被告(56)の第2回の裁判員裁判が19日、東京地裁で開かれ、元幹部の上祐史浩氏(52)が証人出廷した。

オウム裁判に証人として出るのは初。現在は麻原彰晃死刑囚(59)と決別して、新団体「ひかりの輪」代表の立場だ。法廷では古巣への冷静な批判を繰り広げた。

オウム教義は「ヨガ団体にチベット密教とキリスト教の終末思想が入った寄せ集め」と指摘。当時、入信した若者たちは上祐氏を含めて、「ノストラダムスの大予言」やアニメにかなり影響されていたと語る。

「私は第3次世界大戦が起こると思っていた」。裁判後の会見では「『宇宙戦艦ヤマト』も『機動戦士ガンダム』も世界大戦を描いた。ハルマゲドンのキーワードがいくらでもあった」と述べた。

幹部しか知らない仰天事実も明らかに。サリン事件後、麻原死刑囚が「1995年の11月には戦争だ!」と発言したと証言した。「11月」「戦争」という言葉は記憶しているという。サリン以上のテロの可能性があったとは恐ろしい。

また、教団がダライ・ラマ14世に莫大な寄付をしていたことも明らかに。「麻原は100万ドルを目標にして、たぶん1億円を超えた」。80年代後半、ダライ・ラマは麻原と対談して称賛の言葉を贈っている。

「お金の取引で、高名なダライ・ラマが称賛の言葉を贈ると思えず、信じた」と上祐氏。ダライ・ラマは89年にノーベル平和賞を受賞。名僧ブランドでオウムの信用が上がったことは、信者獲得の一因に違いない。

高橋被告とは出家の時期が近いが「付き合いがない。要するに影の薄い男」と振り返る。謝罪の言葉が出ないことに「心の中が整理できてない。(信仰心が)残ってなければ、宗教的に正当化できない事件だった。個人の関与は別にして、教団の関与は明らか。それでも(謝罪が)ないのは、麻原への信仰が残っていると考えるのが合理的」と指摘した。



ペマ・ギャルポとオウム真理教の関係


日本において
「チベット侵略」「チベット大虐殺」などの歴史捏造を流布しているチベット族出身の反中活動家であり、ダライと麻原を引き合わせた張本人でもあるペマ・ギャルポも当初はオウム真理教との関係を持っていたが、後に関係を切っている。

彼は1999年2月25日に宗教関連団体「大阪国際宗教同志会」の講演「チベット仏教とは何か」において以下のように発言した。
それから、「オウム」の問題......。オウム真理教の問題に関しても、私はもちろん加担しました。なんていうかな、麻原彰晃さんがある程度、偉くなるのにですね、良い意味でも悪い意味でもそれなりに貢献したのは事実です。というのは、彼をインドに最初に紹介したのは私だったんです。しかし、その時は、私なりの打算がありました。私は今までに二回詐欺に遭ったことがありますけれども、よく考えてみますと、その詐欺師だけが悪いのではなく、自分の中にもちゃんと計算(打算)があるんですね。ですから、不可能なものを可能であろうと信じたりするんです。

それと同じように、麻原さんの時もやっぱり、日本の仏教とチベットの仏教は兄弟みたいなものだけれども、もし麻原さんがチベット仏教の信仰者になれば、これは息子みたいになるから......、と本当に思ったんです。そうしたら、もっともっとこちらが直接、何事もお願いしやすくなると思ったんです。そういう過去がありました。ただ、何カ月もしないうちにいろんなことが判ってきて、最後には、私は「麻原さんとはお付き合いしないほうがいい」ということを、ダライ・ラマ法王庁に申し上げました。
なお、「彼をインドに最初に紹介したのは私だったんです」の「インド」とはインドのダラムサラにあるダライ・ラマ14世のいわゆる「チベット亡命政府」のことである。



動画:ダライ・ラマ14世とオウム真理教の麻原彰晃の関係





関連項目
ダライ・ラマ派とナチスの関係
ダライ・ラマ派と統一教会の関係
ダライ・ラマ派とCIAの関係



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